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野球界の行方 ~近鉄、オリックス合併合意~

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近鉄と日本プロ野球の未来はどうなる?

改めて言うまでもなく、私は自他共に認めるジャイアンツファンだった。正確に言うと去年の秋までだが。何せ生まれた初めて野球場に行ったら王選手の714号ホームラン。最初にサインして貰ったのは新人の時の原。日米野球でリプケンと原に握手してもらって一緒に写真まで取らせてもらった。この写真と多摩川グランドで江川にしてもらったサインボールは私の宝物である。オヤジは長嶋茂雄と草野球をしたことが人生最大の自慢という長嶋バカのジャイアンツファンである。その子供がジャイアンツファンになるのはある意味当たり前だ。

しかしジャイアンツは大好きでも、読売は大嫌いだという人間がいる事を忘れないで貰いたい。というか、ジャイアンツ至上主義は、ジャイアンツファンの私が一番忌み嫌う事なのだ。今にして考えれば務台時代がましだった。傲慢で横柄な態度は今とそんなに変わらないが、自分勝手に他球団を恫喝して、野球界のルールまで変えちまうようなことまではしなかった。やっても江川事件が精一杯だ。

政治屋ゴロのキャッチボールもしたことない元共産主義者の男がオーナーになってから、まぁやる事なす事、酷い事ばかり。ジャイアンツが野球界の諸悪の根源であるのは明らかであるのは承知の上でも、惚れたものの弱み。ガキの頃からファンクラブの会員で2軍の試合まで観に行っていた私の様な男には、読売は憎めてもどうしてもジャイアンツが捨てきれなかった。

ところがである。昨年の原解任劇だ。松井のヤンキース行きの段階でかなり気持ちは離れていたが「原が監督だから」という一縷の望みを繋いでいたそのジャイアンツへの気持ちは、読売のバカ幹部の騒ぎに巻き込まれ苦悩し辞表を叩きつけた原の記者会見での姿を見た時、漸く切る事が出来た。


さてそんな私のジャイアンツへの私情などはどうでもよい。久方の大激震である。近鉄とオリックスが合併という事態に陥った。日本の野球界が中途半端なのは、サッカーのようにコミュニティーに密着して地域との共生を目指す訳でもなく、かといって興行として洗練されたダイナミズムを打ち出せているわけでもない点である。私は日本以外も含めてプロスポーツでは当たり前の「グローバル・スタンダード(この言葉は嫌いだがあえて使いたい)」としての考え方である地域密着型でプロ野球も発展していくのが理想だと思うが、そうでなく洗練されたエンターテイメントの興行として生き残っていくという戦術を取るなら、それはそれでアリだとも思っている、

今の日本野球界の状況は、プロ野球を読売が、高校野球を朝日と毎日が占めている訳で、冷静に考えれば読売だけでなく日本の野球界はマスコミ含めてみんな旧態依然の体制丸抱え状態で先の見えない道をブレーキの壊れたダンプカーにみんなで載っている感じなのだ。

最早日本の野球界は、ナベツネ一人が死んで解決するような状況ではなく(余りこういう事を言いたくはないのだが、死んでいただけるのなら、一日でも早く死んでいただきたいが)全ての分野が制度疲労を起して疲弊しきっている。

サッカーのファンには余り評判が宜しくない川渕三郎キャプテンだが、私の世代ではガラガラの日立サッカーグランドで試合を見ていたり、代表戦なのに試合中に観客席で鬼ごっこやっているそんな会場で試合を見てきた人間として、日本の文化、体勢そのものを大きく動かした、正に『革命』をしたその手腕は凄いとしか言いようがない。Jリーグの誕生は、ただ単に組織を変えましたとか言うレベルの改革ではない。日本の風土を変えてくという物凄い実験でもあるわけだ。当然ながらそうした大きな事を動かす時に必要なのは理念と信念である。青臭いといわれようともそれがなければ、人は動かない。

さてそこでプロ野球である。ここで野球界をどうするのかでなく、日本という国の中で野球はどのような存在としてあり続けるべきなのか、それこそゆるぎない理念と信念を掲げなければ、何をどう転がしても虚しいだけだ。プロ野球が新聞の販売部数確保の為に存在するのであれば、そんなモノならなくなってしまえばいい。そしてゼロからスタートすればいい。

日本のみでしか使われていない軽いボールでバカみたいにホームランが出続ける東京ドームでの試合を見ながら、そんな事を考えている。

  by mf0812 | 2004-06-14 02:47 | スポーツ

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