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萎縮する世論

スピルバーグは残念だったが今年のアカデミー賞は所謂大作映画は皆無だったものの琴線に触れるような珠玉の小作品が数多くエントリーされ非常に気持ちのいい授賞式だった。これほど作品のクオリティーが高そうなものばかりがエントリーされるアカデミー賞もそうはない。派手さはないが中身の詰まった今回の式典だったと思う。社会に横たわる問題をエンターテイメントに昇華させるというこれぞハリウッドの底力というのを見せつけたきわめて健全な作品が多かった今年のアカデミー賞。明らかにハリウッドは今回あるメッセージを式に託したと思う。それは現政権への「NO!」である。9.11テロの衝撃から漸く覚醒し始めたアメリカリベラリズムの息吹を感じた今回のアカデミー賞であった。

さて世間的にはなかった事になりそうなメール問題。世間が騒がなくなったので漸く私が取り上げる番だ(笑)しかし民主党は謝罪広告ナゾ出す暇あるなら情報提供者を国会に呼んで証人喚問したほうがいいんじゃないかな。責任の取り方を間違えているとしか言いようがない。昨日TBSのニュース番組で今回の問題をジャーナリストの3人が論じていたが、民主党の罪を諌めていたのは良いとして(私も同感だ)今回の問題を民主党に全て負わせるというのはどうなんだろう。社民党の保坂代議士が自分のブログで『「メール問題で4点セットが消えてしまった」という発言があったがどこから消えたのかと言えばテレビから消えたのである。消さずにやり続けるのがメディアの使命だろう』と述べているが全く同感である。

確かに現在進行形で進む事柄に関しての責任の取り方は難しい。ただそれにしてもこの国では連帯責任と自己責任の判別、峻別を取り違える事が往々にしてある。まぁ駒大苫小牧のセンバツ辞退なんかはその典型だろう。1、2年生には全く関係ない話で何で辞退するのか私にはサッパリ分からぬが、例のイラク問題で出てきたあのインチキ臭い『自己責任論』以降、社会の萎縮感が増大してきた感じがする。ネットやテレビメディアがブースターとなり「強者の論理」ばかりが手を変え品を変え跋扈している様は、見ていてあまり気持ちよいものではない。因みにこの間当日記でも触れた「PSE法」も例の竹中路線の「アメリカによるアメリカの為の規制緩和」政策の中から出てきた法律であるが、今日の今日までこの法案を批判する意見はメディア内では全く出てこなかった。責任問う側がいつまでもこんな感じなのだから政治家にも舐められるわけだ。まぁ現実とはこんなものか。

  by mf0812 | 2006-03-06 04:32 | ニュース・評論

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