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日々雑感 (某所より転載)

ツマラヌ理由で(一応考えるには考えたのだが)コスモサンビームを消してしまった痛恨さは否めないが、基本的に馬券作戦の筋は悪くはなかったようである。時系列オッズをみるとキングカメハメハの単勝馬券を土壇場で1000万円単位で投入した人が入る気配を感じるが、その人のお陰で私の取り分が少し減ってしまったのが哀しい。持てざる者の愚痴であるが。これでダービーが俄然面白くなってきた。時間をかけて考える愉しみを得た気がする。

随分と以前から継続的にある有名な競馬コラムニストの日記を読んでいる。書いてある内容も業界内部の話も聞けて面白く、結構長い間愛読しているのだが、以前からどうしても引っ掛かるトコロがあって完全に乗り切れない感があった。ところが最近書かれたのを読んでいて、その引っ掛かるポイントが分かったような気がしている。彼の行う(もしくは思う、言う)他者へのレッテルの貼り方が少々古臭いのだなと。今のご時世で市民活動したら左翼とか天皇陛下万歳叫んだら右翼とか、いつの時代かと思えるような考え方である。少し突っ込んだ物言いをするなら、そういうレッテル貼りをしている以上、彼の提唱するような競馬振興策は世の中を巻き込んでいく事はないだろうと思われる。

共産主義が自壊した今の時代、利益の分配方法の取り扱いにより左右の主義が分かれるのが普通の考え方だ。利益の分配を最小限度に留めるのが右的志向で、それを最大限に広げて考えるのが左的志向である。つまり右的志向はより政府の干渉を許さない小さな政府を嗜好し、左的志向は国家というツールを最大限に利用する大きな政府を嗜好する。ある意味右的志向は政府否定の論理に繋がる事もあるし、極左的志向と共通項をもてたりもする。この辺の関係は実に複雑で、簡単に2極に分離できるものではない。

今時、日の丸君が代崇めたら右翼で、それに反対したら左翼とかいう話は、余りに前時代的であり、そんな物差しで左右を計るのは昔の話だ。そもそも天皇の存在を旧態依然とした左右という概念軸で語ることに無理がある。何の戦略も持たず金切り声を上げてバカみたいに国会議事堂の前で戦争反対などと叫ぶ虚しい人々も政府の施策に反対する人を全部反体制みたいに扱う輩も根は同じであり、前時代の中で生きている哀しい人々にしか私には見えない。

例で言えば朝日新聞が左で読売新聞が右とか言うのも随分な話だ。そもそも戦時中一番戦争を煽り国民を扇情して盲目的な記事を書き続けた新聞社こそ朝日新聞である。しかも朝日新聞は思想を持って扇情している訳でなく、何となくの空気でどちらかの側に立っている日和見のスタンスに過ぎない。戦争中は世間の風向きはイケイケだから戦争翼賛、戦争終わればその逆という、馬鹿みたいな扇情主義なのである。だからこそ逆にこういう存在は性質が悪いのだ。ついでに読売新聞に関して言えば、社主に対して全員イエスマンばかりというどこぞの一族経営の企業の様な社内の空気からして、最早報道機関としての体をなしていない。

しかしこの「左右」の考え方に代表される短絡的なレッテル貼りが今の時代、思考停止の状況を生んでいる。誰かに変なレッテルを貼られたくないから、周りの空気に乗っかりそちら側に付くという姑息な空気。価値観がどこまでも同じ人などこの世に入るわけもないのに、そういう、いもしない、有り得ない共同幻想の感覚をどこまでも引き摺る感じが、私には相容れない。

出る杭は打たれるのでなく引っこ抜かれるのが日本の特性で、一歩抜きに出る人々は、「空気を読め」という言葉に代表されるように、「世間」といわれている訳の分からない時代感覚に同調しなければ、そこから爪弾きにされるという、全く非論理な展開で駆逐されている。こういう状況を今の日本は「右傾化」しているなどという人もいるが、そんな短絡的な話でもなかろう。そもそも古典的なリアルな「右者」は、徒党を組む、世間と同調する、ましてや勝ち馬に乗るなどという思想から、一番掛け離れたトコロで孤高の存在として成り立つのだ。だからこそ大正昭和の「テロル」の中の右者は、自ら組織を離反し、己一人で敵を討つのである。

別に「右者」になれと推奨しているわけではないが、これからの若い人は上に述べたつまらぬレッテル貼りに怖れて萎縮しないで欲しい。最近、何かそうした変な感覚が気になって仕方ない。もしも自分があの立場なら、という簡単な想像力が働かないから、他者と自分が入れ替え可能であると思えず、安全地帯から他者を執拗に攻撃し続ける不感症的な反応が蔓延する。最近起きた世間的なバカ騒ぎを見るに付け、それこそ嫌な空気を感じてしまう。

何かのトラブルが起きるたびに飛び交う「世間をお騒がせしました」という言葉ほど、無為で無意味で空疎なモノはない。水に流そうという感じは決して嫌いではなく、日本的情緒として誇れるものだと思うが、満員電車内で煙草吸う的な迷惑行為への拒否反応と共同体が無意識に求めてくる協調性を同列に並べるレトリックはもう勘弁願いたいのである。

  by mf0812 | 2004-05-09 18:43 | ニュース・評論

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