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JOKER 

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舞台は初日、中日、最終日を見て、初めて評価が下せると、有名な劇作家が言っていたのを思い出すが、チケット入手困難なこの舞台でそれを果たすのは不可能だろう。初日に行くという行為は非常に危険が伴うが、初日に漂う独特の緊張感もこれまた観劇の醍醐味でもある。ただ出来れば中日辺りに見に行きたかったのが本音であるが、私のスケジュールの都合上、今日しか日が無く、止むを得なかった。一緒に見た友人は、中日にも行くそうだが、初日との違いが楽しめるだけに正直うらやましいなとも思う。

さて明石家さんまである。私の大好きな芸人さんだ。ただ私の大好きな明石家さんまは、テレビの中の『スーパークオーターバック』的な司会者の姿でなく(もちろんそういうさんまも好きなのだが)舞台で見せる非常にストライクゾーンの狭い笑いを追及する芸人・明石家さんまなのである。

私が思う明石家さんまという芸人は、本来は極めてレンジの狭い笑いを好むタイプの人である。その笑いのタイプは見る人を選ぶ、という言い方が正しいかもしれない。テレビの中の明石家さんまは、あくまで『テレビ仕様』しかもその仕様を徹底的に洗練させている超人でもあるが、本来さんまが志向する笑いのタイプは、簡単に言うとクスクス笑いがさざなみのように会場を覆っていくまるで低温ヤケドの様な『冷静な笑い』である。

これまたチケットの入手が困難で、いつもヤフオクやダフィーにお世話になっている毎年恒例のさんまが構成演出主演を担当するコントショーなどは、そうした笑いのエッセンスがつま先からテッペンまで詰ったモノで決して誰しも受け入れられるモノではない。その昔、なんば花月でさんまが漫談をしていた時に、余り受けない会場で一人だけ受けまくって笑っていたのが関根勤だったという逸話もあるが、カンコンキンシアターでこれまた濃い笑いを提供し続ける関根勤と明石家さんまは、私の中では同じ種別に区分される。その対極が、この間リーダーを亡くしたドリフターズに代表されるような笑いであろう。

今ではネタ番組として、コント番組として、第一線という評価がされているドリフだが、全員集合開始当時は、テレビサイズに舞台を合わせたことで、結構辛辣な評価が多く苦労していたのは有名な話だが、さんまや関根勤は、舞台をテレビサイズに合わせるのでなく、萩本欽一が開拓者として築いていったテレビ的な笑い芸を発展させ洗練させ探求し、舞台と切り離しを図っていったのが大きな特徴ではないかと推測している。笑いをテレビに根付かせたのは、ドリフ的手法と萩本欽一的手法の二つの軸が互いに切磋琢磨して磨き上げていったと私は思っている。

だから彼らは、決してTVの中では舞台で見せる笑いを展開しない。テレビ芸と呼びたい熟練された話芸で番組を作り上げる。TVで見せない笑いというのを簡単な例として出すならば、例えば急斜面の屋根を上る男がいる、その男は必死に登ろうとするが、足を滑らせてナカナカ上手く登れない。懸命にもがいて必死になる様を画面が写していると、引きの絵になり、急斜面かと思われていたその屋根が単なる平坦で、懸命にもがいているのは演技でした、というオチが付く。普通ならそこで笑い声が入ってオシマイ。それがフツウの作りだが、TV的でない笑いとは、そのオチが付いた後も延々とその姿を映し出し続けて、男が必死になる様を必要に追い続ける。そしてその延々と写し続ける姿を見ている方が「馬鹿だなぁ、いつまでも、そんなに必死になって」といういう感想を持って笑いが起きる。世間ではそこで笑うのはごく少数だろうし、そういう笑いを好むのも少数だ。普通なら最初のオチの段階でオシマイだし、それがTV的な『分かりやすい』手法である。さんまもトークではそういう手法を取り入れ笑いを起こすが、舞台ではそういう手法は殆ど取らない。

最大公約数を求めなければならないTVと最小公倍数を追求する舞台。どちらが上だとか下だとか言うのはナンセンスだが、好き嫌いはあるだろう。私はどちらも好きだが、当然お金と時間を費やして見たいのは後者、つまり最少公倍数である。

物凄い前置きが長くなったが、数年前に公演した「7人くらいの兵隊」の続編的な話である今回の「JOKER」は前回公演同様、生瀬勝久脚本、水田伸生演出のコンビによる、第2次世界大戦中の兵隊を舞台にした話だ。

年に一度だけ船が着く島に閉じ込められた部隊が脱出計画を練っている。その計画は慰問団の芸人のフリをしてどうにかしてその船の中に潜り込もうという物だ。ところが、日夜隠れて芸の特訓に励む彼らに情報がもたらされる。どうやら部隊の中に脱走しないよう監視するための「スパイ」がいるというのだ。さぁそこから話が広がって…

というのが概ねのストーリーだが、もちろん戦争の悲惨さとか現在の日本の状況も念頭に置いた生瀬の脚本だとは思うが、私が思うに生瀬の真の狙いは、洒落が全く通じない過酷な状況に置かれている中に『芸人・明石家さんま』を放り込み、そこでどんな笑いが生まれるのかという、ある意味実験色の強い狙いではないかと思うのだ。前作でも同じようなテイストを感じたが、今作では更にその状況を極限にまで設定し、その中で『明石家さんま』の笑いが成立するかという過酷な実験ではないかと。

で、結論から言えば、その狙いはスレスレの形で成功している。笑いはどの場でも成立する。それは逆説的に言えば、笑いの成立しない場は無い、笑いにタブーも限界も無い。笑いとは素晴らしいのだ!という賛歌にも読み取れる。初日だけあり、トチリやぎこちなさ溢れる舞台だったが、温水洋一や生瀬本人など芸達者が沢山いる中で、生のハプニングには滅法強い明石家さんまがいるだけにそういう不安定さも笑いに変換出来ているのはいつもの様に見事としか言い様がない。小栗旬や市川実日子などはまだまだギコチナイ感じだが、楽日になれば相当変わる感じの予感も漂う。

この2作で「実験」を行った生瀬とさんまのコンビ。是非ともこの実験の成果として、ガチンコの喜劇を次回は期待したい。

2004.3.29 ル・テアトル銀座にて


「JOKER」
作・出演:生瀬勝久 演出:水田伸生(日本テレビ)
出演:明石家さんま、小栗旬、市川実日子、山西惇 他

  by mf0812 | 2004-03-30 03:22 | 舞台

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