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今、過ぎていく未来

今日は何を置いても書きたい事がある。10月29日、日曜日ノア日本武道館大会のメインイベント、丸藤KENTA戦についてだ。

プロレス観戦歴20年余り、私が長年積み重ねてきたプロレスの常識なるものをいとも簡単に凌駕した。時代が変わり、歴史が動く。これほどの試合に生で巡り合えるチャンスはそうそうない、そんな神々しい瞬間を生で体感する事ができて私はただただ幸せである。

とにもかくにも物凄いモノを見させてもらった。現在過去未来、その全てを凝縮させた戦い。リング上にはある意味死の香りさえ漂う中で互いの持てるものを全て使い果たした試合であった。しかしだ、彼らが凄いのは30分以上殆ど休まず飛びまくり、蹴りまくり、跳ねまくっているのにも関わらず、最後まで互いの受身を考えて細心の注意を払いながらワザを掛け合い、そして決めているというその肉体的、精神的スタミナの無尽蔵さである。改めて言うまでもなく今年度のベストバウトはこの試合であろう。個人的には今日の試合はドームでの小橋VS秋山戦を凌駕していた。

今日の武道館はセミまでのカードはまるで地方大会の如くの並びであり、実質上ワンマッチ興行であった。メインのワンマッチで武道館を埋める。確かに超満員とは行かない会場であったが8割方埋まる武道館の観客を総立ちにさせ、感動させた二人は見事なメインイベンターになった。ノアフロントが正に未来の「三沢vs川田」「三沢vs小橋」もしくは「秋山vs小橋」という黄金カードにさせるべく設定した今回の丸藤KENTA戦は興行的に大ギャンブルであったと思うが、そのギャンブルにノアフロント、そして何よりメインの二人は見事に打ち勝ったと言えるだろう。

丸藤、KENTA、そして森嶋。今更新三銃士とか新四天王とか言う言葉は使いたくないし彼らもそんな呼び方で称されたくないだろう。いつか使おうと思っていた言葉、それが『トリプレッツ』そう、今日のメインを見終えた今、プロレス界の未来はこの3人、ノアのトリプレッツに託されたと言い切っていいだろう。私はそう確信した
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  by mf0812 | 2006-10-30 05:46 | プロレス格闘技

たまには競馬の話も

当ブログは以前「競馬ジャーナル」という看板を掲げていた割には、ディープインパクトの凱旋門賞に関する事に殆ど触れていなかったけど、一応はディープの動静は気にしてはいましたよ、それなりにはね。勿論NHKでの生中継も見てたし、ディープの応援もしてましね。で、今日聞いた禁止薬物の問題に話を移すのだが、いろいろと情報を読むに、関係者間の手違いがあったようで、まぁ仕方ないよねみたいな感想なんだが、それで済ましちゃマズイのかな。だってどうみても抹茶飲ませたみたいな(例えが古いし、実際飲ませたら劇走するかどうか知らないが)所謂ドーピングとは違うわけだしねぇ。海外遠征つーのは、こういう経験を沢山積んで、その先に結果が付いてくる訳でしょうしね。関係者にとっては、まぁいい経験だったと思えば宜しいかなと。少し手痛いペナルティーでたが。

しかしだ、それはそれでいいとして、一番情けないのは、テレビで聞いたJRA理事長のコメントだよ。「世界最高峰のレースとして栄誉ある凱旋門賞に汚点を残す結果となり…」ってさ、何よこの下衆なコメントは。これじゃあ如何にも陣営が興奮剤的な目的でドーピングしましたと言っているのと同じじゃないかよ(しかも少なくてもその可能性は殆ど薄いだろうに)まだ良く分かりもしない段階でこんなコメント出す神経が分からない。トップの資質を疑うわね。
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  by mf0812 | 2006-10-20 04:08 | 競馬

指揮官いろいろ

団体スポーツの世界で時たま使われる言葉に「パニックムーブ」というものがある。これは怪我人が続出したりして当初の想定していなかった様な緊急事態が起きた時に、当事者が混乱してしまい理屈に合わない方策を慌ててしてしまう事を指す。プロレスファンに分かりやすく簡単な例を出すなら新日本プロレスの現場を思い出していただければいいのだが、まぁそれはさておき、こういう緊急時に露呈し問われるのが団体スポーツにおけるトップ、つまりは指揮官のスタイルである。

野球の指揮官には広岡や野村の様なロジックで選手をコントロールしていくタイプもいれば、仰木監督の様な限られた戦力をシャッフルさせながら選手の持ちベーションを上手くコントロールしていく緊急時応対に長けたスタイルの監督もいる。また阪神監督時代の星野や第2次政権下時代の長嶋の様な己のカリスマ性を最大限に生かしてチームを結束させていくスタイルもあるだろう。

正に指揮官のスタイルは千差万別だがこの度パリーグを制した北海道日本ハムファイターズの監督ヒルマンの辿って来た変遷は非常に興味深い。彼は当初アメリカで行われてきた、もしくは自分で行ってきた指導方法や指揮のスタイルを通してきたが、徐々に日本人選手に合わせていく形に軌道修正していった。これが上手くいったのは勿論ヒルマン自身がそうした自己修整能力が長けていたという事が大きいがそれと同時に日ハムがメジャーリーグ同様キチットしたGM制度を導入していてヒルマンにサジェスチョンできる体制を整えていた点も大きかった。今年広島の監督に就任したブラウンもヒルマン同様、自分のやり方を徐々に日本式に調整しアジャストしつつあるが、ヒルマンにはいてくれた高田GM的な存在が今の広島にいないという点が気になる。東出を再生したり、梵を育成したりと、今期も確かな手腕の片鱗を見せているだけに、その辺のフォローが気掛かりだ。

今年の巨人を見ていると前回就任時と比較すると原監督は、チームが緊急事態に陥った時にやや「パニックムーブ」を起こし易いタイプの監督である事が実証された感じである。実はヤンキースのトーリ監督もそういう傾向が見受けられるが、彼らは実績のある選手の揃ったチームを任せると抜群の能力を発揮する所謂チームメンテナンスに長けたスタイルを身上としているが緊急事態への対応力が問われる時、彼らの脆さがそのままチームに反映してしまう。立場は違えど巨人とヤンキースの今年の敗因は、そうした指揮官の弱さ脆さが出てしまった部分も大きいような、そんな気がしている。
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  by mf0812 | 2006-10-14 05:25 | スポーツ

現実と空想と

私はかねてから「日本はアメリカが核兵器を持っているから今まで他国から攻められなかった」という主張を疑わしく思っている。実際、攻めてくるとしたらロシア(当時ではソ連か)しかいないわけだが、冷静に戦後の北東アジアにおけるパワーバランスを見ていけば、そんな状況になる事は有り得なかったと思わざるを得ない。また核の力があるから攻めてこなかったなどというのも現実世界の動向を見ていれば空論でしかないのも自明である。ロシアが日本を攻めて来て得らるメリットなぞそのデメリットに比べれば比べ物にならない位に微々たる物だ。太平洋戦争後のソ連含めた北東アジアの歴史を振り返れば、サンフランシスコ講和条約締結後にロシアが我が国に攻めて来る可能性など、アメリカが再び攻めて来る可能性よりも低かったと言わざるを得ないわね。

今回の北朝鮮の騒ぎに乗じて今ぞろ再び日本核武装論などという事を言い始めている軽薄な連中が増えてきているが国際政治的にも軍事的にも、これまた非現実的な話であるのも自明の理である。

例えば仮に日本が核武装したとする。その場合にそれでは仮想の敵国はどこに指定するかと言えば間違いなく中国、ロシアそしてアメリカになる。言わずもがなだがこれらの国の領土は日本よりも果てしなく大きい。つまりお互いが追い詰められて、小型であろうとも核兵器を打ち合う状況になったと仮定した場合、国土が狭く首都機能を持つ場所が数えられる程度しかない我が国のが軍事的な戦略上速攻で壊滅してしまい、敵国と想定される方が殲滅されない可能性が絶対的に高いのである。こんな事は軍事のイロハのイの話である。

上記の論法は核兵器のパラドックス論としてかなり有名な話であるが、実際に現代社会における核兵器を使用した戦争というのは、使用した瞬間に、相手側が全面的報復に出るのが間違いないわけで、そうなると勝ち負けの決め手はは領土の大きさや都市機能の集中度具合により決するわけだ。

最近になりロシア脅威論が効かなくなって来たので、中国が日本を攻めて来ると言う煽りをしている輩が増えたが、日本のそう言う事をおっしゃる方々は知ってて言わないのか、本当に知らないかは分からぬが、日常的に中国軍とアメリカ軍が人的交流をして、更にはお互いの国の軍事練習に兵士を交流させて参加しているのである。中国が攻めて来るなどという話も全く馬鹿馬鹿しい空想論である。

憲法9条を守ってさえいれば平和になるという人たちを平和ボケと言って嘲笑するのも確かに間違いではないが、そう言う事を声高に叫ぶ人に限って中国脅威論みたいな非現実的な話を真顔で叫んで煽っていたりしいて、傍で見ている人間にしたら、まぁどっちもどっちである。東西冷戦時代から思考停止している人たちによる罵りあいには付き合いきれないな、というのが昨今のニュースを見ていて感じる私の率直な感想である。
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  by mf0812 | 2006-10-10 05:24 | ニュース・評論

単眼と複眼

複眼の映像 私と黒澤明
橋本 忍 / / 文藝春秋
ISBN : 4163675000
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今月の日本映画専門チャンネルは市川崑と橋本忍の特集というまるで私のリクエストに答えてくれたかのような垂涎のラインナップである。番組では来年の春まで市川崑監督の全作品を順次放映していくそうであるが、出来る事なら木枯らし紋次郎のテレビシリーズも見たいものだ。今月は手始めに金田一耕助シリーズを放送しているがシリーズ最高傑作である「悪魔の手毬唄」から放送してくる所にこのチャンネルの番組編成者のセンスを感じる。今後も楽しみである。

そして何と言っても橋本忍特集というのも嬉しい限り。これは松竹系のチャンネルである衛星劇場との連動企画だそうだが、橋本忍が関わった作品を2つのチャンネルで集中的に放送していくとの事。とりあえず今月は名匠岡本喜八監督の「日本でいちばん長い日」や「砂の器」「八甲田山」などを放送していくそうだ。橋本忍の作品を振り返るという事は、言い換えれば日本映画史を振り返る事と同義であり、この特集も今から楽しみでならない。また嬉しいのはこの企画に連動する形で橋本忍のインタビュー特番を放送してくれている事である。何より私が最近読んだ本の中で抜群に面白かったのが橋本忍が書いた「複眼の映像・私と黒澤明」という作品でもあったので、今回のインタビューは尚更に注目である。

この本は表題の通り橋本忍から見た黒澤映画の舞台裏、というのが主題だが内容は多岐に渡り、最終的には黒澤映画という枠を越えて脚本とは何か、映画とは何かを問うてくる見事な構成になっている。橋本忍は80年代に体調を崩し、そのまますっかり第一線から身を引いてしまっていたので、個人的にはそのままフェードアウト(失礼ながら最近まで亡くなっていたと思っていた)されていたと思っていたのだが、21世紀になってからよもや橋本忍の書き下ろしの文章を読むことが出来ようとは想像だにしていなかった。

橋本は80年代後半から手術入院何度もを繰り返していたそうで一時は手紙すら書けない様な状況だったそうだが、最近になり齢90超にして体調が良くなったそうで(これはこれで凄い話だとも思うが)思い切って自叙伝を書くことを決めたという。それが「複眼の映像・私と黒澤明」という書物である。とにかく読み所の多いこの本の中で私が一番面白く感じたところは橋本が、黒澤が晩年に撮り上げた「影武者」と「乱」を酷評している点である

橋本はこの2つの作品を「黒澤が芸術家になろうとしてしまった作品」と評し単眼的な脚本で深みがないと指摘している。橋本曰くこの2作品は過去の黒澤作品の様な複数の脚本家らと合議制で第1稿から徐々に積み上げていく手順でなく予め決定稿を黒澤が一人で書き上げていたとし、この2作品は黒澤の単眼で作られた作品であり、それがこの2つの作品の物語性に深みが持たせていない原因であると実に脚本家らしい視点で強烈に批評している。ただ橋本はその一方でこの2作品の後に作られた「夢」を高く評価し、これが事実上の黒澤の遺言であると評価していた。

こうした批評が面白いなと思うのは、実は橋本自身の脚本にも同じ事が言える点だろう。この人は黒澤以上の天才的な脚本家だと私は思っているが、晩年黒澤や野村芳太郎、森谷司郎という名パートナーから離れ、ほぼ単独で携わった作品のどれもが凡庸なものばかりであった点が残念だった。80年代に入ってからの橋本作品は、自ら監督した作品を含めてどれも同じ人物が携わったとは思えないレベルの作品が続いてしまい特に病に倒れる直前に携わった「愛の陽炎」などは、ある意味トンデモ映画に分類されるようなC級映画で「旅路」も監督作の「幻の湖」も余り褒められた作品ではなかった。

確かに橋本に酷評された「影武者」「乱」は、私も積極的には肯定できないタイプの黒澤映画であったがストーリー展開には限界があったものの、橋本が「芸術家黒澤」の側面が強調された作品と評したように、映像のカタルシスは存分に味わえる映像作品としての楽しみがあった。実際に欧米特に欧州での黒澤の評価が決定的になったのは、この2つの作品だ。しかしこの2作品も、もし黒澤が脚本段階で橋本忍らと組んでいたらどうなっていたのかを想像するにもっと重厚的な作品になったであろう事は容易に推測が付く。こうして晩年の二人の作品を振り返る時、お互いがお互いを欲していたのではないかと傍で見ている私には思えてならないのだ。

元気になられたとは言え、橋本忍も流石に脚本家としては現役復帰はないだろうが、出来うる事ならば、黒澤が亡くなる前に、もう一度この二人でコンビを組んで欲しかったなというのが、一映画ファンとしての感想である。映画史の裏側として、そして二人の天才が闘った記録として、更に最後に交われなかったその天才達の彷徨の残像として、この本の持つ意味と価値は極めて高いと思っている。映画好き、特に邦画好きな人ならば是非とも一読される事をオススメしたい
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  by mf0812 | 2006-10-06 05:25 | 書籍

2つの極

マイケルムーアが監督したドキュメント映画「華氏911」は、かなり政治的主張に偏った作品であったが、こうしたジャンルの映画としては異例中の異例の大ヒットになった。個人的には彼の前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が面白かったけど、イラク戦争に突き進んでいったアメリカであってもこうした政府の行動、言動に批判的な映画が作られ、評価されるのもアメリカの一部分である。

さてその一方でほぼ同じ時期にアメリカで作られ大ヒットを記録した映画がある。それがメル・ギブソンが監督した「パッション」である。この映画は神を冒涜しているという罪で捕らえられたキリストがローマ帝国の総督ピラトのもとに連行され十字架に掛けると判決を下され、拷問を受けた末に十字架を背負ってゴルゴダの丘へと歩いていく様を描いた、一言で言えば所謂宗教映画である。この映画を熱狂的に指示した観客は、普段からジーザスチャンネルとフォックスニュースしかテレビは見ないような人々である。つまりメイフラワー神話を信じきっているような人間は神様が創ったと(本気で)考え、進化論をまるで信じていないような人々らが、この映画を支えたわけである。

この2つの映画を支えた観客の質の違いに見て取れる差異が今のアメリカのどうしようもない埋めがたき溝であり、ある人曰く絶望的な断絶と言われる部分だ。アメリカは21世紀になった今も南北戦争をしているといわれる所以はこのどうしようもない断絶にある。こうした宗教原理主義者が多いのが南部であり所謂バイブルベルトと呼ばれている地域を指している。皮肉にもこうした宗教色の強い地域の生活水準格差は熾烈で、その最たる例として出てしまったのが昨年あったハリケーン・カトリーナ災害だった。

寛容と排斥、「華氏911」を認めるアメリカと「パッション」を熱烈に支持するアメリカ。アメリカとはどういう国なのかと問われた時に、私が一口で言い表せられないのは、この国がこの2つの反する言葉、精神を内包しているからであり、本来ならば同じ国を形成しているのが不自然なほど考え方の違う人々が暮らしているのがアメリカの実情であると考えているからに他ならない。冗談抜きに今すぐにでも本当に南北戦争をしかねないほどの考え方の違いが埋め切れていない現実がそこにある。

たかが映画ではあるが、その視点の置き方一つでその国の内情までもが見えてくるのが映画の魅力の一つでもある
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  by mf0812 | 2006-10-01 05:23 | 映画・ドラマ

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