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漂流法廷

刑事裁判の最初に行われる検察側の冒頭陳述は、検察側が当該事件に関して如何なるグランドデザインを描いているかを指し示すものである。つまり検察がその事件をどういう形で見ているかを分かり易く表している。殺人や窃盗などの刑法に関する事犯はともかく、商法に関するもの、つまり経済事犯については、この冒頭陳述で初めて事件の全体像が分かったりする事も時折ある。経済事犯裁判の冒頭陳述は専門用語が多いので我々素人が読むには非常に難解であるがそこをどうにか堪えて読み通すと、メディアでは伝え切れなかった事に気付かされる事もある。

政権も変わり、最初の公判が終ったこともあり、世間的には最早どうでもいいことかもしれないが、ライブドア裁判に関して、私はすっと大いに注目している。それは時間が経ち裁判が始まっても、一向にこの事件の全体像が見えてこないからだ。前から書いているが個人的に企業人として経済人として公的な立場における堀江と言う人物にはかなり懐疑的であるが、個人的な感情の好悪で言うならそんなに悪い印象は持っていない。まぁかといって好印象もありませんが。さて堀江氏個人への私の印象はともかく、ライブドア事件の全容を知るに一番手っ取り早いのは冒頭陳述を読むのが一番であるわけだが、法律の素人が読んだからかもしれないが、読み終えてどうにかある程度の理解をし終えた段階で思ったことが「これって最後まで公判維持できるのか?」という事だった。

読んでみると分かるが検察の論理構成のその殆どが宮内元副社長らの供述が主でこの供述が崩れると検察の論理は全て崩壊する仕組みになっており極めて危うい構成となっている。何せ今回堀江氏が捕まった罪は証券取引法違反だ。経済の専門知識を要するかなり複雑な経理操作を問われる訳で正直堀江と言う人物が全てを把握して指示していたという検察側の理屈を通しきるには相当の緻密さが求められるべきだ。

検察側のグランドデザインによると堀江が主導し積極的に画策し、それらを部下らが実行したと言う図式かと思われるが、ここまでの公判を見るに私の感触では、実は堀江はハダカの王様的な部分があり、もしかすると宮内氏らの暴走をハダカの王様は、ついぞ何も知らなかった(知識も無かった)というバカ殿と小悪人らのせめぎ合いというような陳腐な様しか思い浮かべられないのである。

公判記録をつぶさに見ても、どうにもこうにも、天下を揺るがす大規模な経済事犯と言う姿がそこからは全然見えてこないのは何故なのか。ここまでの裁判の流れだと何だか堀江氏が全く無知で、しかもそれを知り抜いている宮内氏以下の役員らの独断が目立ったりと事件の様相がここに来て急転直下の勢いで変わりかけてきてもいるし何が何だかさっぱり分からない状況になりかけている。

実際昨日、今日あった公判では宮内氏による売却益の私的流用があからさまになったり、堀江弁護人の執拗な追求に宮内氏がしどろもどろになって裁判が予定よりも早く終ってしまうというようなハプニングも起きているが検察側が期待していた宮内の証人としての能力がかなり怪しくなってきているのは事実だ。ただ冒頭にも述べたようにこの裁判は、検察側の図式では宮内の証言が崩れると裁判も総崩れになりかねない位、宮内におんぶにだっこなのである。

昨今、どうも検察が調子に乗り如何にも社会正義の実現とかいう名目でほぼ別件に近い形で関係者を逮捕して庶民の溜飲を下げさせつつ検察・警察のイメージアップを図ると共に、己らの権力を誇示するという事が行われてきたが、こうした事が結果的に事件を矮小化させて、本来追究されなければならなかった人物などが逃げ切ってしまいトカゲの尻尾連中が捕まって一件落着みたいなケースが続発している気がしてならない。元々岸の流れを汲む現森派は検察・公安や警察と非常に密接である訳だが、日歯連事件に始まりライブドア、耐震偽装問題と続いた一連の事件の顛末がどれも似たような流れになっているのは偶然なのかそれとも必然なのか。今度出来た政権も岸からの流れを汲む所謂旧来の自民党の根っこにあった部分を継承している訳で、似たような事がまだまだ起きても何ら不思議ではない。

まぁ人情としてはどうせ悪い事したんだから、別件でも何でも捕まえればいいじゃないという気がしないでもないが、こういう事の繰り返しが本来責任を追及されるべき人物を野放しにしていくというモラルハザードを生み出す下地を作っているような気がしてならない。公と私の区分と言うか江藤淳ではないがロールとサブスタンスの区分が出来ない輩が増え物事の分別が流動化しすぎている感じを受ける。それは保守も革新も問わずにである。サブスタンス(=実体)を伴わない空虚な勢いだけの話しに惑わされ、ロール(=役割)までもが破綻していくと言う典型をこの政権と検察の“共犯”めいた一連の裁判の過程で感じざるを得ない。
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  by mf0812 | 2006-09-27 05:21 | ニュース・評論

名優、死す

丹波哲郎が亡くなった。残念なニュースだ。先月、当日記では「丹波に痺れる」と題して日本を代表する“名優”丹波哲郎の素晴らしさについて触れたがそれから一ヶ月も立たぬうちにこの様な報を聞く事になろうとは…。ただただ残念でならない。

生前、丹波哲郎=名優、と評すると怪訝な顔をされたもんだが私はこの自説を曲げたことは無い。丹波哲郎こそ日本を代表する名優であると確信している。まず役柄の幅広さ、晩年は同じ様な役回りばかりで止むを得ずステレオタイプな役ばかりを演じざるを得なかったが、若き頃の丹波の出演作の幅広さにはただただ驚かされるばかりだ。ニヒルな殺し屋、精悍なサムライ、人情味溢れる刑事に妖気漂うヤクザ役。同じ俳優が演じているとは思えないその幅広さ、演技していますと言う事を殊更強調しないからこそ、逆にその演技の力に私は圧倒されるのである。今、私は名演技してますよ、なんていう顔されて演じられるほど見ている方にとってたまらないものは無い。丹波の凄さは正にそうした名優然とした素振りを微塵もさせないで、飄々と演じ切るところにある。

気付けば日本を代表する名作に必ず顔を出している。圧倒的な存在感を醸し出し、丹波の代わりを務められる役者はついぞ登場しなかった。こんな凄い役者を名優と呼ばずして何と呼ぼうか。まぁ大霊界なんていうお茶目な映画も作ったりしちゃいましたが、某新興宗教に比べれば可愛げあるもんなぁ、そこが丹波の魅力でもあったしね。

プライベートでは後進の指導にも力を注ぎ「丹波道場」を自費で作り若手俳優を育成したり、外国映画にも積極的に出演、また豪放磊落な性格として知られ細かい事には気にしないおおらかな性格で人々を楽しませた事も丹波を語る上で忘れてはならない事だろう。先に亡くなった奥さんを心から愛し晩年はその病弱だった奥さんを一人きりにするのが嫌なので長期ロケを嫌っていたと言う逸話を聞くにこの人の懐の深さを思い知る。

今一度、名優丹波哲郎の死の報に触れ、今はただそのご冥福を心からお祈りするより他は無い。これから追悼の意味も込めて東映時代劇の最高傑作である「十三人の刺客」を見る事にしよう。この映画での寡黙な丹波に今宵は痺れる事としたい。
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  by mf0812 | 2006-09-25 05:21 | 映画・ドラマ

再点検せよ

株価が7000円台に近づいた時があったのを覚えている人も少なくなったかと思われるが、あの当時日本は金融恐慌一歩手前だったという報告が最近出回り始めたアメリカ政府の資料などから読み取れるそうだ。私も一部を見る事が出来たが、それを読み、そして他の資料など見るに、当時の小泉政権は、明らかにあの時点で経済政策を変更してたんだな、という事が良く分かる。政権誕生後、それまで力の無い金融機関は退場してもらおう、と言う事で、バンバンと景気良く銀行も企業も潰していった訳だ。いわゆる「竹中プラン」と呼ばれた金融再生プログラムを発動させた事で、不良債権拡大を恐れた銀行が回収に乗り出し、その結果担保力の無い中小、零細企業が資金繰りが困難に陥り、バタバタと潰れていった。その中途で平均株価は急落を辿り、遂に7000円台に突入し始める。

アメリカの政府系シンクタンクレポートなどを読むと、この頃アメリカの政権では真剣に日本の状態を心配していた様で(というのも日本はアメリカにとって当時最大の国債引き受け手でアメリカにとっては日本経済が恐慌状態に陥る事はイコール自国債権の信用がガタ落ちになる側面もあるので)早急に手を打つべきだという話があちらこちらで散見出来る。現実問題として当時行われた日米経済官僚のトップクラスの会談でアメリカ側から竹中サイドにある現実的な提案が行われた節があるという。

この提案を受けて日本側はアメリカ政府提案に沿った形に修正を始める。事実上政策の転換、大銀行、大企業救済路線に変わる。そしてその救済時に巧みに外資が姿を隠して日本経済に潜りこんだ。つまり当初の竹中路線はこの時点で失敗していたと見るべきであろう。で、そう言う状況を踏まえて政策を転換する事が悪いのかといえば全然悪くない。銀行を潰さないという方針は悪くは無い。ただし、ここが大事なんだが潰さない代わりに各個人の責任が追及されなけばならない。

で、我が国では何が起きたかといえば、潰されずにすんだ大銀行の責任は深追いされずに何故か当局の意向に逆らった銀行の幹部は社会的に失墜させられ、政策ミスの責任を問われるべき人物は逆に政府内で更に大きな役職を任されてしまった。間違いを間違いだと認めない頑迷さが責任の曖昧さにつながりモラルハザードを起こさせる。小泉路線の継承と一口に言うが、一体小泉政権の政策とは何だったのかをもう一度再点検しないと足元を掬われるだけの様な気がしている。少なくても経済においては当初の小泉竹中路線などと言うものは影も形の無い事を覚えておきたい。
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  by mf0812 | 2006-09-22 05:20 | ニュース・評論

川嶋vsミハレス

過日行われたボクシングの世界戦WBC世界スーパーフライ級暫定王座決定戦、川嶋vsミハレスの試合は紙一重の判定で川嶋が敗れた。ジャッジのポイントカードを見ると最終ラウンドの判定で川嶋9-10ミハレスというのがあってこれが引っくり返っていたら川嶋が勝っていた。あの最終ラウンドは川嶋だったと思うんだがなぁ。確かに川嶋はいつもの悪い癖が出て振りが大振りになり有効なヒットが少なくなってしまったが、ただ相手のミハレスも手数が多いが明らかにカードの上から有効でないジャブを放っているだけでいわゆる点数稼ぎの手数の多さであり、川嶋自体に効いていたかと言われたらそうでもなかったと見た。

最近のボクシングの判定傾向は、無駄な手数よりも有効なヒットを重視するのが流行であり、手数が勝れば判定が取れるというのは一昔前のボクシングだ。リングジェネラルシップ、つまりそのラウンドをどちらが支配していたかを問う時にはパンチの有効性が第1義に考えられるのが現在のボクシング界の流れである。

確かに川嶋の大振りが目立ち得意の右クロスに固執する余りに落としたラウンドもあるにはあったが、総じてミハレスの効かない手数よりは効き目ある川嶋の有効打が勝っていると言うのが私の見立てであったし、何よりも日本で行われているんだからこういう接戦の時こそホームディシジョンが働いてくれるもんだと思っていたので、判定が出た時、私は正直驚いた。うむ、嫌な予感が的中したなぁと。

と言うのも、今回の戦前、余りこういう事は言いたくないが例の亀田一家騒ぎの悪影響が今回のジャッジ基準に出なけりゃいいなと懸念していたんだがそれがまともに出たような気がしてならなかったからだ。確かに川嶋のボクシングも拙かった点があったのは否めないが、有効打より手数が優先された様な判定基準は残念だった。そもそも日本ボクシング界において海外での試合にて判定で王座奪取なんていう事は殆どないのが現実で、過去にはあからさまに勝っていてもドローだったとか、かなり酷いホームデシジョンの洗礼を喰らいまくっている現実の積み重ねがある。だからこそ折角日本で行われたんだから、しかもその判定基準の優劣が一昔前の基準であった手数の有る無しが最重視された感じの結果になったと言うのは、なんとも割り切れない残念な気がしてならないのである。

川嶋は引退を示唆しているけれども、時間が経ち、心と身体を十分に休めた後、もう一度気力が充実する時が来るかもしれない。まだ川嶋はやれる、まだ川嶋のボクシングは進歩すると私は思っている。
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  by mf0812 | 2006-09-20 05:19 | プロレス格闘技

全ての信念の為に

アメリカCNNの名物番組と言えばラリーキングライブ。72歳とは思えない元気さで毎日いろいろなゲストを呼んで話を聞いている。さて今日放送されたラリーキングライブでは、ゲストにショーン・ペンを招いて新作映画のことや最近の彼の活動に関して語り合っていた。

日本では余りないことだが、海の向こうでは俳優やミュージシャンが積極的に政治的な発言をして社会的に話題になるのが日常茶飯事となっている。この間はチャーリー・シーンがやはりCNNの番組に出演してアンダーグラウンドではチョイチョイ話題に上っている9.11テロの陰謀説について触れ独自の推論を展開して大きな話題になっていたばかり。この日もショーンペンはラリーキング相手にして相変わらず強烈な現政権批判を繰り返していたが、ショーンペンの言葉が重いのは、彼は発言だけでなく行動も積極的でイランやイラクに単身乗り込んだりするバイタリティーの持ち主だからだ。彼はアメリカではかなり有名なリベラリストとして名を馳せている。もちろん俳優としても素晴らしく、アカデミー賞を受賞した「ミスティックリバー」での重厚な演技、相変わらず狂気の香りを漂わせていた「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」等、とにかく最近彼の出た映画にハズレはない。近作「キャスティング・ディレクター」は監督が役者達の演技を制御できなくなって映画としては破綻しているがショーンペンの演技だけは見ていて楽しくなる。それだけしか見所ない映画ですが。かと思えば「アイ・アム・サム」の様なリアリティ溢れる飛び切りの演技をも見せる、彼は現代ハリウッドを代表する名優だ。

そんなショーン・ペンの最新作が、かの名作「オールザキングスメン」のリメイク。この映画は、第2次大戦直後のアメリカで作られたシリアスドラマで清廉であり野心家でもある地方政治家が次第に権力欲の虜となって自滅していく様を描いた硬質のドラマであるが、如何にも彼らしいチョイスだなと感心。この名作映画はその出来の高さから数多くの映画人に影響を与えこの作品をモチーフにした映画が沢山作られた。そんなフォロワーの中でも秀逸なのはロバートレッドフォードが主演した「候補者ビルマッケイ」この作品も出来がよくて「キングの報酬」という更なるフォロワーを生んだ。この映画はレッドフォードの盟友でもあるシドニールメットが監督しておりちゃんと水準を越えた作品に仕上がっている。

丁度アメリカも中間選挙が近いし、日本も自民党総裁選挙もある。選挙の秋にこうした硬質な人間ドラマを見るのもよろしいかと。
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  by mf0812 | 2006-09-16 05:18 | 映画・ドラマ

大人騙し

子供騙しという言葉がある。辞書を引くと「子供をだますように単純で幼稚な事」と書いてある。しかし昔、あるマジシャンに聞いた話によると手品で一番難しいお客さんは子供だと言っていた。確かに子供はすぐに騙されるが一度ネタがばれてしまうと絶対に2度と信じてもらえないそうだ。でも大人は信じるまでは時間が掛かるが一度信じてしまうと盲目的になりやすいそうで、面白いのは頑固な人であればあるほど、一度信じてしまうとこれはネタですと言っても言う事を聞いてもらえず、逆に怒られてしまうそうだ。これは、一度信じてしまった自分を否定したくないと言う気持ちが働くからではないかと、彼は推測していた。

今月の初め、アメリカの調査会社が発表したところによるとアメリカ国民の46%が未だに「サダム・フセイン元イラク大統領は9.11テロを個人的に支援していた」と思っていると言う。前から言っているがテロの前からフセインとビンラディンは長年敵対関係にあった訳だが、アメリカ人は未だにこうした作られた話を信じている現実がある。考えてみればアメリカはイラクと戦争することはテロリストへの報復であり今後のテロを予防する為という事柄を国民的なコンセンサとして戦争に突入した。しかし現実は、イラク国内にあったとされた大量破壊兵器もなく、9.11テロを首謀したとされるテロリストとイラクの首脳は対立していたとなれば、一体何のためにアメリカはイラクに戦争しに行ったのかその理由がなくなってしまう。9.11テロで亡くなった人の数は2,974人とされているが、イラク戦争でなくなった兵士の数は2,899人となり、戦場でなくなった兵士の数はテロ犠牲者の数を上回ってしまった。もっと言うならこの戦争でイラクの罪なき一般市民は5万人が死亡し、アメリカがこの戦争に費やした戦費は51兆円を超えている。

こういう風に数字を並べてみると何とも理不尽な話だと思うが、これが一度信じてしまった大人の悲劇と言うべきなのかもしれない。信じた自分を否定したくないために政府が出任せで言ったヴァーチャルな話を事実と思い込み、思考停止してしまう。これは決してアメリカだから起きた話ではなく世界中の何処でも起きる話だあり勿論日本でも起きる話だし、今現在起きている話だとも言える。。間違いを認めることは勇気がいる。しかし世の中の常として、間違いを認めてそこから何かを学ばない限り物事は前進しない。逆に言えば間違いを認めない人は、間違いを犯した人以上に信用ならないとも言えるかもしれない。まぁ何処の誰とは言いませんが
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  by mf0812 | 2006-09-14 05:17 | ニュース・評論

寡黙の勝負師

騎手吉永正人と言えば私にとってはナンと言ってもミスターシービーしか思いつかない。特に印象深かったのは、あの三冠が懸かった大一番である菊花賞だ。当時、父親と一緒にテレビでその様子を見ていたが、三冠が懸かった大レースでいつもと違うレースを見せた吉永騎手の大胆な騎乗は今でも語り草になっている。私がこのことを今でも鮮明に覚えているのは、普段は日常生活でも滅多に怒鳴らない父親がレースを見ながらテレビ画面に向って「吉永、バカ!何やっている!」と叫んだからだ。

後で聞くに関係者席でレースを見ていたシービーを管理していた松山調教師も私の父と同じ様に叫んだらしいが、とにかくあの日はレースを見ていた皆が、京都の最終コーナー手前でシービーが動いたのを見て叫んだのではないだろうか。実況の杉本清アナウンサーも動くシービーの姿を見て「坂の手前で動いた!」と声が上ずっている。名ジョッキーである栗田騎手に競馬の教えを叩き込まれた杉本アナウンサーにしたら「京都の坂はユックリ登りユックリ下らないといけない」という京都のセオリーをまるで無視するかのように動いたシービーを見て心底驚いたに違いない。四角で先頭に立つシービーと吉永騎手を見て「これでいいのか、ミスターシービー、これでいいのか吉永正人!」と叫んだ杉本アナウンサーの声は今も私の耳の奥に残っている。

吉永とシービーは京都の、競馬の、常識をまるで無視するかのように早めに動き、四角先頭に立ちそのまま押し切ってしまう。私が初めてリアルタイムで三冠馬誕生の瞬間を見たのがこの菊花賞のミスターシービーであった。このレースの強烈なイメージを、私は未だに消す事が出来ない。どこか優等生的なイメージの濃かった翌年誕生した三冠馬シンボルルドルフよりも個性の塊の様な存在だったシービーが大好きだった。競馬に本格的にのめりこんだきっかけは今にして思えばミスターシービー、特に菊花賞でのシービーであったと思っている。そう思えば吉永正人騎手は私を競馬の世界に引き込んでくれた張本人である訳だ。普段大人しい私の父や冷静沈着が売り物の伊名物アナウンサー、そして管理する調教師まで驚かせてしまった騎乗を事も無げにした男、吉永正人。正に彼はプロフェッショナルジョッキーであった。最後方一気の強襲を得意にし、それを売りにした男が、三冠最後の大一番で常識ハズレの場所から動き出し、勝利を獲りにいく。これに痺れずして何処で痺れろと言うのか。

吉永正人、職業騎手、享年64歳。ご冥福をお祈りしたい。
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  by mf0812 | 2006-09-12 05:15 | 競馬

勝ち組の実像

トヨタ:下請け企業23社が実習生違法採用--最低賃金下回る-企業:MSN毎日インタラクティブ

今日一番のニュースはホリエモンの裁判ではなく、こちらのはずだ。これが「勝ち組企業」の正体なんだろう。従業員の三分の一が非正規雇用労働者であるトヨタ自動車。大手メディアはライブドアを虚業だのナンだのと批判するが、先にあった九州でのリコール隠し問題にせよ、この問題にせよ、モラルを問われるべきは堀江よりもこちらではないのかね。あのリコール隠し問題が起きた後、トヨタ自動車は社長が出てきて謝罪会見の一つも行っていない。事の本質を見るに三菱自動車の一連の事件と悪質さは同じじゃないのか?何が違うのか?ジャーナリストと呼ばれる人に、私に教えて貰いたい。
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  by mf0812 | 2006-09-05 04:03 | ニュース・評論

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