カテゴリ:映画・ドラマ( 36 )

 

平成版「復讐するは我にあり」を見る

復讐するは我にあり
/ 松竹
ISBN : B000BKJFC8
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木曜日にテレビ東京で放送した「復讐するは我にあり」は、今年みたテレビドラマの中でベストと言い切っていい、素晴らしい作品だった。役者、演出どれも素晴らしかったが、何よりも一番素晴らしかったのはその脚本だ。過去に映像化された作品を踏まえた上での物語構成の巧みさに惚れ惚れさせてもらう。勿論そうした素晴らしき本を元にした役者陣の演技の冴え、特に主演の柳葉敏郎と大地康雄の2人の演技は比類なき見事さであったのは言うまでも無い。特に物語の終盤、夜の一室にて二人が対峙する長回しは、近年のテレビドラマ史に残る痺れるようなシーンであった。

その長回しでも台詞回しの見事さが際立っていたが、ベテラン脚本家西岡琢也、こうした対決シーンに見せる切れの鋭さ、さすがの本領発揮である。西岡琢也といえば、最近はテレビドラマ、しかも2時間ドラマにその活躍の場を求めているが、かつては人魚伝説、刺青ありなどと言ったATG作品などインディーズ系の映画のフィールドで異彩を放っていたが、最近はオーソドックスな物語でも上手く纏め上げているが、今回の本に関しては、昔の作品でよく見せていた鋭利な熱情を忍ばせていた。西岡にとっても会心の作品であったのではないかと推測する。

今回、西岡は今村の映画では深く描かれる事のなかった、逮捕される前の数日にスポットを当て、映画や過去のドラマ化の際とは全く違う視点でこの物語を再構築して見せた。しかし西岡にとって今回の作品の脚色化が難しかっただろうと思うのは何と言っても過去に何度かドラマ化や映画化されたその作品が余りに素晴らしかったからであり、中でも今村昌平監督、緒方拳主演のヴァージョンの凄さがあったからだ。今村監督ヴァージョンの「復讐するは我にあり」は、日本映画史に残る世紀の問題作であり、今もその作品の出来に関しては語り草になっている今村監督の代表作だ。

私は何を血迷ったのか、ガキの頃にこの映画をテレビで見てしまったのだがその時の衝撃は今も忘れる事が出来ないものだ。有名なタンスの中に絞殺した老弁護士を押し込み、その前で茶漬けを掻き込む緒方拳の姿は、子供にはあまりに刺激的であった。そんな過去の名作に真っ向勝負で挑み、異なる視点から迫ったテレ東、やるな、という感じである。昨年日テレの世界仰天ニュース内で放送されたドラマ「光クラブ事件」もそうであったが、テレビドラマの実録モノは時折こうした突き抜けた作品を生み出すことがあるので侮れない。とにかく良い物見させてもらったと感謝である。
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  by mf0812 | 2007-03-31 03:54 | 映画・ドラマ

華麗なる一族

華麗なる一族
佐分利信 / / 東宝
ISBN : B0002TT0RI
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テレビドラマ「華麗なる一族」がこの度放送を終えた。原作は山崎豊子、この話は、改めて言うまでもなく山陽特殊製鋼倒産事件事件をモチーフにしたものだ。主人公の万表鉄平は山陽特殊製鋼の再建に尽力した上杉年一氏がモデルともされている。この「華麗なる一族」は1974年に映画化されている、監督は名匠山本薩夫、主演仲代達矢というゴールデンコンビにより作られた。「映画斜陽の時代」と揶揄された1970年代、実はこの時代には映画評論家には見落とされがちであるが、素晴らしき日本映画が数多く作られている。この「華麗なる一族」もそして「砂の器」も「新幹線大爆破」といった世界に誇れる素晴らしき日本映画は、ほぼ同時代に作られている点を忘れないでいたいものだ。

山崎豊子、山本薩夫、仲代達矢の「華麗なる一族」のトリオで2年後に「不毛地帯」と言う名作も製作されているが、こちらの作品には名優丹波哲郎も出ていて、より一層作品に厚みを増させている。さて確かに仲代も山崎豊子映画の常連であるけども、やはり山崎豊子原作といえばまず真っ先に名前が挙がる俳優と言えば田宮二郎だろう。白い巨塔の財前教授役と言えば田宮二郎の当たり役であるが、とにかく田宮は、山崎豊子の作品群に惚れ抜いていて、白い巨塔のテレビドラマ化の際には何年にも渡り準備をし、山崎豊子を自ら口説き落として製作に漕ぎ付けたほどだった。

実はこの仲代主演の「華麗なる一族」には田宮二郎も出ているが、田宮は仲代が演じた(今回のテレビドラマ版では木村拓哉が演じた)万俵鉄平役を演じる事を熱望し、山本監督や東宝の名物Pである市川喜一に頼み込んだと言う逸話が残されている。残念ながら田宮の願いは叶わなかったが数年後、田宮二郎が躁鬱病の末に自殺を遂げた時のその様が正にこの「華麗なる一族」における万俵鉄平の死とオーバーラップしていたという。田宮は大映の天皇と呼ばれた永田雅一の逆鱗に触れ映画界から追放を受け暫く映画界から離れたが、大映倒産後に再び映画界に戻ってきてから、自死を遂げるまで立て続けに名作、傑作、快作に出続けた。生島治郎原作の「追いつめる」や、名匠増村と組んだ「動脈列島」、そして加山雄三と共演したハードボイルドの隠れた傑作「ジャガーは走った」など、その主演作品群は今もなを色褪せないでいる。惜しい人を亡くしたなと改めて思う事しきりだ。客数少ない店内でキムタクの自死のシーンをモニターで見ながら「田宮二郎が鉄平を演じていたらどうなっていたのかな?」とふと思った、そんな日曜の静かな夜であった。
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  by mf0812 | 2007-03-20 03:46 | 映画・ドラマ

アカデミー賞雑感

昨日アカデミー賞が行われた。硫黄島からの手紙は作品賞を逃したがそれでもこの作品の持つ輝きは色褪せない。前にも触れたがこの硫黄島2部作は両方をセットで見ないと作品の持つ意味合いが分からない。硫黄島からの手紙は全編日本語でしかも日本人の役者が演じているがこの映画はやっぱり日本映画ではなくアメリカ映画なのである。そこがこの2部作最大のポイントである。第2次世界大戦はアメリカのとって今のところ最後になる「揺ぎ無い正義に基づいて行われた戦争」であった。連合国側にこそ正義の全てがあり、枢軸国側がそれこそ今の言い方で言うなら「悪の枢軸」であり悪そのものであった。

しかしイーストウッドは、硫黄島2部作の1作目の「父親たちの星条旗」にてその正義に満ち溢れた連合国側にあった筈の正義、大義に対して疑問を呈する。そして2作目の手紙では、悪の権化であったはずの枢軸国サイドの兵士らをアメリカサイドと同じく迷い続ける生身の人間として描き、敢えて1作目では顔が映されずに匿名として描かれていた日本兵一人一人を署名入りで映し出した。

今、この映画を見るアメリカ人にとって映画内で描かれる枢軸国側の兵士の生身さに、イラクで現在進行形で進んでいる戦争がオーバーラップするのは言うまでも無いだろうし、イーストウッドの狙いもそこにある筈だろう。この2部作は、その心理描写のエグサから言えば、実は硫黄島からの手紙よりも無名の俳優らによって演じられ描かれた1作目の父親たちの星条旗の方に軍配が上がる。それ故に、余りにも生々しいが故に1作目よりも2作目にアメリカ国内の評価が集中したのではないかと私は思っている。1作目はそれを直視するには、覚醒したアメリカ人にも流石にタフだろう。

硫黄島からの手紙はアメリカからの視点であるが故に、日本の軍隊組織の描き方にやや甘さが見られる。それは軍隊組織の非道さを既に第1作目で触れているからであり、別に日本軍をキレイに描いているのは、日本兵や日本軍をヒロイックに描きたかったからではない。この2部作でイーストウッドが描きたかった事は、国家と個人の関わりに関してであり、戦争とは個人が国に縛られるものであり、国民がそれに動員される時には、国家の欺瞞が行われる、それは体制の違いに関係なく行われるのだ、という冷徹な視点だ。この2部作を通してみるとそうしたイーストウッドの狙いがより一層鮮明に伝わり、見る者の胸を打ってくる。2作目を見て感銘を受けた人で1作目を未見の方がおられれば、是非とも1作目こそ見て欲しいなと思う。
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  by mf0812 | 2007-02-26 17:27 | 映画・ドラマ

「それでもボクはやってない」

今もあるかどうかは分からぬが、大井競馬場の最寄駅である立会川駅の傍にあった日本蕎麦屋には、得体の知れない話を持ち込んでくる人が多数たむろしていて、よく蕎麦食う振りしてはそうした話しに聞き耳を立てていたものだ。紳士然とした詐欺師とか顔面髭だらけ輪郭すら分からぬ年齢不詳のコーチ屋とか、当時はまだ地方競馬の世界にはそうした魑魅魍魎の輩が集っていたものである。若い頃から中央競馬の清潔感よりもこういう胡散臭さに惹かれていたモノとしては余り目くじら立てて公正競馬の確保を!とかいう話には興味が湧いて来ない。ただ馬券に絡んでくれば話は別ですが。

しかし何をどうあがいても、どうせ人は神様ではないんだから全ての面において正直には生きていけぬものである。確かに譲れない事に際し一線を画すのは大事であるが、程々の寛容さを持ち合わせないとただギスギスした関係だけが残されていくだけである。とは言え昨年のディープインパクト騒動を見ていてもそうだが、最近の御時世はやたらと青臭いた潔癖症的正義論が世の中に幅を利かせていて私の様な自堕落な人間には少々住み辛くなっているのは間違いない。

今日の昼、近所のシネコンで「それでもボクはやってない」という周防監督の最新作を見てきたが、これが非常に良く出来た見事な映画であった。話の内容は冤罪の痴漢事件の顛末であるが、この映画の真のテーマは日本の裁判制度批判である。厳罰主義が治安の正常化には結びつかないのは社会学の上で実証済みの話であるが、感情論としてそれが受け入れられないのはある程度はやむを得まいかなとも思う。しかしだ、この映画を見るとやっぱり裁きの場に感情を持ち込む怖さを思い知るのと同時に、日本の裁判制度の異常さを感じざるを得ない。そもそも刑事事件の有罪率が99%ってどんな独裁国家だよつー話である。

日本が他の国と犯罪者の引き渡し法令が結べていない現状の理由に我が国の裁判制度や警察制度への不信があるからというのを日本国民のどれくらいの人が認識しているのか。外国人がこの映画を見たらそりゃあ「日本では裁判受けたくない」と思っても仕方ないだろう。日本人だって思うもの。当然そうなれば死刑がある上にこういう状況では何をか況やだろう。この間轢き逃げして国外に逃亡したブラジル人青年の事件の話をするのなら、我が国の司法制度の根幹の問題に触れなければ意味が無い筈なんだが、みのもんたはそんなこと構わずに朝もはよから物事の表面だけをなぞっては、カメラ目線で啖呵を切っている、それが我が国の報道機関の限界なんだろう。
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  by mf0812 | 2007-01-30 23:18 | 映画・ドラマ

風林火山

風林火山
三船敏郎 / / 東宝
ISBN : B00069BMA2
スコア選択: ※※※※

三船の俳優としての振り幅の広さは正に黒澤以外の作品でも如何なく発揮されている。評論家の評価がどうであれ、三船の素晴らしさはフィルムにキッチリと刻み込まれている事実を指摘しておこう。特にこの時期のオススメは、今年の大河ドラマと同じ原作である「風林火山」での山本勘助役。この三船には是非とも一度触れてみて欲しいなと思う。映画全体から匂い立つ三船のオーラに溺れていただきたい。


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  by mf0812 | 2007-01-18 13:58 | 映画・ドラマ

イーストウッドの伝言 硫黄島からの手紙を見て

映画「硫黄島からの手紙」はこの作品を単体で見ても、その映画の持つ味わいの全てを堪能は出来ないだろう。いや、むしろ「父親たちの星条旗」を見なければ、「硫黄島からの手紙」を見たことにはならない、と私は思っている。そしてその二本を見終えた今、この二本をセットとして一本の映画と捉えるならば、アメリカハリウッドの描き出した戦争映画としては唯一無比の最高傑作と呼ぶに相応しい素晴らしい映画になったと断言したい。

今までアメリカのメジャー映画会社が作ってきた戦争映画は、好戦的であれ反戦的であれ、その殆どが自軍の描写にその全てを注いできた。典型的な戦争映画のひとつである「史上最大の作戦」でも「戦場にかける橋」でも敵軍として描かれる日本軍なりドイツ軍の描写はほぼステレオタイプであり敵軍兵士の感情を深く掘り下げるなどという事は例え反戦思想で作られた作品でもなかった。それは第2次世界大戦に限らず、朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも、戦争の種類が変われど同じであった。

しかし今回のイーストウッドが撮った硫黄島2部作が過去のメジャースタジオが作った戦争映画と違い画期的だったのはアメリカにとって今まで正義の戦争であり、間違いの無い、一点の曇りのない戦争であった筈の第2次世界大戦における過ちを描き、戦争そのものを冷徹に描き出したばかりか、相手の敵軍である日本兵の感情、敵軍の描写を徹底的に描き出したその点に尽きる。

今まで語られる事のなかった相手サイドの兵士の感情をを丁寧にそして情に溺れる事無く冷静に描き出す。今作では「父親たちの星条旗」で全く描かれなかった日本兵の顔を全面に押し出す。この対比がこの2部作のキモであるのは間違いないだろう。

凄惨を極めた硫黄島で繰り広げられた戦いの現場には、国家から動機として与えられた正義の形はなく、未来溢れていたはずの若者らが次々に命を落としていく。まるでドキュメント映画の様な淡々とした感情を排した俯瞰の演出が、この戦場で起きた壮絶さや無情さ、そして理不尽さを逆にくっきりと炙り出す。決して惨たらしいシーンが出るわけでなく敢えて見るものの感情移入を拒否するかのごとく、あくまでもイーストウッドは誰に寄り添うわけでなく、物語を淡々と進めていくのだが、そこに貫かれているものは、大いなる矛盾と理不尽さ。アメリカに情景を持つ近代主義者である司令官栗林の苦悩、それは司令官の理屈として国家の為に死ねと命じつつ、その一方で家族や愛する者の為に生きて帰ると念じるいうこの矛盾に他ならない。戦争によって齎される生と死の理不尽さ。戦争は死も生も理由を付けて選ばない。死んでいく命も生き残っていく命も、その選択は誰かが決めるべくも無い。

銃砲の先にいる兵士も自分たちと変わらぬ気持ちで変わらぬ人間として描かれる。東には東の正義があり、西には西の正義がある。お互いがお互いの信じる正義の為に向かい合い、そして殺しあう。それが戦争の本質であり、そのぶつかる先では英雄などは存在しない。倒れゆく兵士は誰しもが国家、為政者らの犠牲者であると、イーストウッドは語る。敢えて栗林中将以下の英雄的な行動や戦争映画に付き物のカタルシス溢れる描写を徹底的に排除している点にその強い意志を感じざるを得ない。国家の持つ冷たさと欺瞞さを描くそれがこの二部作に徹底して貫かれている背骨の部分である。

この硫黄島2部作はアメリカという国が建国以来続けてきた「自分たちの信じる正義の為の戦争」を否定し「戦場における英雄の存在」を否定し「国家のための死」を否定しながら「生き抜く強さ」を持つ事の難しさと大事さを静かに訴える。アメリカと日本を対比して描き、この両者の関係に関連性を持たせる事で、その中に隠されているこの「生き抜く強さと冷徹さ」を浮かび上がらせる。

アメリカに憧れ、アメリカを羨望していた、栗林中将以下のエリート兵士は、無闇な自爆攻撃や突撃による無為な死を最後の最後まで拒否し、生き残る為の戦術を最後まで取り続ける。家族の為に生きて帰る、しかし国家のためには死ななければならない。この相反する2つの道を同時に選択するという正に理不尽な道。その状況に追い込まれていく栗林の苦悩を描く事で為政者、指導者らが軽々しく死に逃げていった所謂玉砕戦法や神風特攻等の事象をも否定してみせる。この映画の凄みは保守本流の思想とは何たるか、という視点まで到達している点にある。

イーストウッドは、両方の映画とも現在生きている、もしくはあの戦争から生き残った人々を中心軸にして回想という形で物語を進めていった。生き残った命、しかしそれは何らかの必然があったからでなく確固たる理由があったわけでなく理由なく選ばれた生であった。イーストウッドが選択したその描写方法は、亡くなって行く命を悼み、そこから戦争の悲惨さを訴えるのでなく、理由無く生き残ってしまった命を描く事で戦争における死の重さとそれ以上に重い生き残った命の重さを訴える。

前々作「ミリオンダラー・ベイビー」もそうであったが、この2作品を観終えた後に席を立てなくなる位の重く圧し掛かるこの映画の持つ空気とは、その死んでいった命の悲しみに心を馳せるからではなく、残された命の苦しみが胸を突き刺してくるからだ。死でなく生に力点、軸点が置かれているからこそ、言い換えれば死に逃げ込むのでなく、生を見つめる、見続けるからこそ現実味を持たせるのである。

イーストウッドはここ数年、自らを整理するかの如くの作品を発表し続けてきた。アメリカという国家の持つ矛盾を冷徹に描き、また生と死の関係をも厳しく問い掛けている。それは何れも死んでいく命よりも残されていった命に軸足を置く、そこにイーストウッドの真骨頂があるのだ。「ミリオンダラーベイビー」では安楽死を取る女性ボクサーを描きながら、それを選択し尚且つ一人残されていくイーストウッドが演じた老トレーナーを映し出していく。だからこの映画を見終えた時に、我々観客は老トレーナーの心情に吸い寄せられるからこそ、その残されていく命の切なさを噛み締め、打ちひしがれるのだ。悪人が死んでジ・エンドにはならない、誰かが死んで大団円を迎える様な安易なエンディングを求めない、イーストウッドの視点は、我々観客の胸の奥底に眠る感情を鷲掴みにして揺さぶってくる。

それ故にこの硫黄島2部作の持つ重さ、深さは、見終えた後にジワジワと日増しに押し寄せてくる。イーストウッドからの遺言とも言って差支えないような厳しく命を見つめる映画。それがこの硫黄島2部作の根っこでありそれを戦争というアメリカ社会が今も抱えている現実問題にフィードバックさせながら、尚且つ一点の曇りの無い筈の第2次世界大戦を舞台にして、それを訴えるイーストウッドの強靭な主張。声高にスローガンを掲げる映画ではないからこそより主張が伝わってくるのだ。昨今の映画の何れもが死に逃げ込み、物事を片付けてしまう話ばかりであるからこそ、この映画の輝きは一層増している。
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  by mf0812 | 2007-01-06 00:00 | 映画・ドラマ

アメリカを見つめる眼 イーストウッドの視座

アメリカ人なら誰もが知っている若い兵士らにより星条旗を掲げた一枚の戦争写真。カメラマン、ジョー・ローゼンタールが撮ったその写真は第二次世界大戦の勝利を最も象徴的に切り取った珠玉の作品として今も時代でもアメリカ国民の中に刻み残されている。この写真の背景にある隠されていた残酷な真実を描いたのがクリント・イーストウッドが監督した最新作「父親たちの星条旗」である。

一見プライベ-トライアン風の映画に見えるが、この映画アメリカにとって誰からも文句の出ない正義の戦争であった第二次世界大戦を追憶する美化された戦争映画でなく普遍的な国家と個の関係について言及した辛口な人間ドラマだ。未見の方もおられると思うのでストーリー説明は割愛するが、この作品でイーストウッドが訴えているのは、いつの時代でも政治によって戦争は歪められ、若者はその最初の犠牲者となるという悲しい事実である。『政治家は戦場の最前線にいる者の運命よりも己らの権力を行使保持する事にしか関心がないのだ』イーストウッドは静かに映画の中で語っているが、言うまでもなくこの映画は60年以上前の戦争の話を描きながら、今現在行われているイラクやアフガンでの戦争に関しても言及しているのである。硫黄島の戦闘で亡くなった両軍兵士の平均年齢は19歳。イラク戦争でも戦場で命を落としている兵士の平均年齢は20代前半だ。

映画の中ではネイティブアメリカンの若者が戦場から帰った後も政治に愚弄され心身ともに傷つき疲れ果てていく姿を静かにそして残酷に映し出していくが、こうしたマイノリティーの若者が犠牲になっていくという構図も当時と今も全く変わっていないし、メディアによって戦争の英雄が作られていくという様も変わらない。

旗を掲げた若者らを襲った悲劇とイラク戦争で話題になった女性兵士のジェシカ・リンチや元NFLプレイヤーでありながら高額のギャランティーを蹴ってアフガニスタン戦争に志願し戦場で亡くなったパット・ティルマンの例が激しく重なる。リンチの場合は例の救出劇が捏造であった事が判明しティルマンの場合も戦闘でなく友軍兵による誤射により亡くなったにも関わらず軍がその事実を把握していたのに事実を隠蔽し続け、テロリストとの戦闘によって勇敢に亡くなったとメディアに喧伝し国威発揚に利用した事が後になり遺族の追及により判明した。

そう、歴史は繰り返す。イーストウッドは声高でないが、事の本質を静かにそして冷徹に描き出す。今作ではその姿勢が今までのどの映画よりも徹底しているのが印象的であった。

イーストウッドは、今まで敢えて戦争に関してその本質の議論からは距離を置いてきた。過去に数多くの戦争映画に出てきたがそれらの多くはあくまでも娯楽作品としての戦争映画である。彼の作品にはベトナム戦争が一切出てこないのは偶然ではないだろう。彼は今までベトナム戦争に対してハリウッドでは珍しく積極的な態度表示をしてこなかったが、丁度マネーメイキングスターの座から半分下りかかった80年代後半に入り彼の姿勢に微妙な変化が出始めていたのを私は感じていた。

80年代後半以降のイーストウッドは自らの映画人生を総括でもするかのように、過去の自分へ決別するかのようにある意味で自己否定ともなる様な作品を作り出し始める。彼はまず「バード」でチャーリーパーカーという破天荒なジャズマンの生涯を描きながらアメリカ社会に横たわる人種差別の問題を抉り出し「ホワイトハンター、ブラックハート」では現在のハリウッドシステムへの皮肉を込め、「許されざる者」では西部劇のヒロイズムを完全否定し「ミスティックリバー」では自己防衛、復讐、因果応報というアメリカ社会に未だ残る考え方に疑問を投げかけ「ミリオンダラーベイビー」では遂にアメリカ人の宗教観、死生観にまで静かに踏み込んでいった。

そしてイーストウッドは今作にて「アメリカンジャスティス」「アメリカンヒロイズム」とも呼ぶべきアメリカ社会に根深く存在しているそうした英雄思考をモノに見事に完全否定した。ハリウッドで映画スターとして名声を築き上げてきたイーストウッドが辿り着いた先がこの「父親たちの星条旗」かと思うと個人的に極めて感慨深い。そして12月にはアメリカのメジャー映画が今まで完全に避けてきた、戦争の相手側の心理を冷静に描いた「硫黄島からの手紙」が公開される。映画人イーストウッドは、老いて尚盛んに今のアメリカを鮮やかに切り取り、スクリーンにそれを刻み続けている。常に今の時代を見つめつつ、批判精神溢れる視点を欠かさないイーストウッドの映画魂に衰えはない。いや、衰えどころかマスマス磨きが掛かっている。改めて言うまでもなく私の今年度ベストワンは今作に決定した。
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  by mf0812 | 2006-11-09 16:37 | 映画・ドラマ

2つの極

マイケルムーアが監督したドキュメント映画「華氏911」は、かなり政治的主張に偏った作品であったが、こうしたジャンルの映画としては異例中の異例の大ヒットになった。個人的には彼の前作「ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が面白かったけど、イラク戦争に突き進んでいったアメリカであってもこうした政府の行動、言動に批判的な映画が作られ、評価されるのもアメリカの一部分である。

さてその一方でほぼ同じ時期にアメリカで作られ大ヒットを記録した映画がある。それがメル・ギブソンが監督した「パッション」である。この映画は神を冒涜しているという罪で捕らえられたキリストがローマ帝国の総督ピラトのもとに連行され十字架に掛けると判決を下され、拷問を受けた末に十字架を背負ってゴルゴダの丘へと歩いていく様を描いた、一言で言えば所謂宗教映画である。この映画を熱狂的に指示した観客は、普段からジーザスチャンネルとフォックスニュースしかテレビは見ないような人々である。つまりメイフラワー神話を信じきっているような人間は神様が創ったと(本気で)考え、進化論をまるで信じていないような人々らが、この映画を支えたわけである。

この2つの映画を支えた観客の質の違いに見て取れる差異が今のアメリカのどうしようもない埋めがたき溝であり、ある人曰く絶望的な断絶と言われる部分だ。アメリカは21世紀になった今も南北戦争をしているといわれる所以はこのどうしようもない断絶にある。こうした宗教原理主義者が多いのが南部であり所謂バイブルベルトと呼ばれている地域を指している。皮肉にもこうした宗教色の強い地域の生活水準格差は熾烈で、その最たる例として出てしまったのが昨年あったハリケーン・カトリーナ災害だった。

寛容と排斥、「華氏911」を認めるアメリカと「パッション」を熱烈に支持するアメリカ。アメリカとはどういう国なのかと問われた時に、私が一口で言い表せられないのは、この国がこの2つの反する言葉、精神を内包しているからであり、本来ならば同じ国を形成しているのが不自然なほど考え方の違う人々が暮らしているのがアメリカの実情であると考えているからに他ならない。冗談抜きに今すぐにでも本当に南北戦争をしかねないほどの考え方の違いが埋め切れていない現実がそこにある。

たかが映画ではあるが、その視点の置き方一つでその国の内情までもが見えてくるのが映画の魅力の一つでもある
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  by mf0812 | 2006-10-01 05:23 | 映画・ドラマ

名優、死す

丹波哲郎が亡くなった。残念なニュースだ。先月、当日記では「丹波に痺れる」と題して日本を代表する“名優”丹波哲郎の素晴らしさについて触れたがそれから一ヶ月も立たぬうちにこの様な報を聞く事になろうとは…。ただただ残念でならない。

生前、丹波哲郎=名優、と評すると怪訝な顔をされたもんだが私はこの自説を曲げたことは無い。丹波哲郎こそ日本を代表する名優であると確信している。まず役柄の幅広さ、晩年は同じ様な役回りばかりで止むを得ずステレオタイプな役ばかりを演じざるを得なかったが、若き頃の丹波の出演作の幅広さにはただただ驚かされるばかりだ。ニヒルな殺し屋、精悍なサムライ、人情味溢れる刑事に妖気漂うヤクザ役。同じ俳優が演じているとは思えないその幅広さ、演技していますと言う事を殊更強調しないからこそ、逆にその演技の力に私は圧倒されるのである。今、私は名演技してますよ、なんていう顔されて演じられるほど見ている方にとってたまらないものは無い。丹波の凄さは正にそうした名優然とした素振りを微塵もさせないで、飄々と演じ切るところにある。

気付けば日本を代表する名作に必ず顔を出している。圧倒的な存在感を醸し出し、丹波の代わりを務められる役者はついぞ登場しなかった。こんな凄い役者を名優と呼ばずして何と呼ぼうか。まぁ大霊界なんていうお茶目な映画も作ったりしちゃいましたが、某新興宗教に比べれば可愛げあるもんなぁ、そこが丹波の魅力でもあったしね。

プライベートでは後進の指導にも力を注ぎ「丹波道場」を自費で作り若手俳優を育成したり、外国映画にも積極的に出演、また豪放磊落な性格として知られ細かい事には気にしないおおらかな性格で人々を楽しませた事も丹波を語る上で忘れてはならない事だろう。先に亡くなった奥さんを心から愛し晩年はその病弱だった奥さんを一人きりにするのが嫌なので長期ロケを嫌っていたと言う逸話を聞くにこの人の懐の深さを思い知る。

今一度、名優丹波哲郎の死の報に触れ、今はただそのご冥福を心からお祈りするより他は無い。これから追悼の意味も込めて東映時代劇の最高傑作である「十三人の刺客」を見る事にしよう。この映画での寡黙な丹波に今宵は痺れる事としたい。
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  by mf0812 | 2006-09-25 05:21 | 映画・ドラマ

全ての信念の為に

アメリカCNNの名物番組と言えばラリーキングライブ。72歳とは思えない元気さで毎日いろいろなゲストを呼んで話を聞いている。さて今日放送されたラリーキングライブでは、ゲストにショーン・ペンを招いて新作映画のことや最近の彼の活動に関して語り合っていた。

日本では余りないことだが、海の向こうでは俳優やミュージシャンが積極的に政治的な発言をして社会的に話題になるのが日常茶飯事となっている。この間はチャーリー・シーンがやはりCNNの番組に出演してアンダーグラウンドではチョイチョイ話題に上っている9.11テロの陰謀説について触れ独自の推論を展開して大きな話題になっていたばかり。この日もショーンペンはラリーキング相手にして相変わらず強烈な現政権批判を繰り返していたが、ショーンペンの言葉が重いのは、彼は発言だけでなく行動も積極的でイランやイラクに単身乗り込んだりするバイタリティーの持ち主だからだ。彼はアメリカではかなり有名なリベラリストとして名を馳せている。もちろん俳優としても素晴らしく、アカデミー賞を受賞した「ミスティックリバー」での重厚な演技、相変わらず狂気の香りを漂わせていた「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」等、とにかく最近彼の出た映画にハズレはない。近作「キャスティング・ディレクター」は監督が役者達の演技を制御できなくなって映画としては破綻しているがショーンペンの演技だけは見ていて楽しくなる。それだけしか見所ない映画ですが。かと思えば「アイ・アム・サム」の様なリアリティ溢れる飛び切りの演技をも見せる、彼は現代ハリウッドを代表する名優だ。

そんなショーン・ペンの最新作が、かの名作「オールザキングスメン」のリメイク。この映画は、第2次大戦直後のアメリカで作られたシリアスドラマで清廉であり野心家でもある地方政治家が次第に権力欲の虜となって自滅していく様を描いた硬質のドラマであるが、如何にも彼らしいチョイスだなと感心。この名作映画はその出来の高さから数多くの映画人に影響を与えこの作品をモチーフにした映画が沢山作られた。そんなフォロワーの中でも秀逸なのはロバートレッドフォードが主演した「候補者ビルマッケイ」この作品も出来がよくて「キングの報酬」という更なるフォロワーを生んだ。この映画はレッドフォードの盟友でもあるシドニールメットが監督しておりちゃんと水準を越えた作品に仕上がっている。

丁度アメリカも中間選挙が近いし、日本も自民党総裁選挙もある。選挙の秋にこうした硬質な人間ドラマを見るのもよろしいかと。
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  by mf0812 | 2006-09-16 05:18 | 映画・ドラマ

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