「それでもボクはやってない」

今もあるかどうかは分からぬが、大井競馬場の最寄駅である立会川駅の傍にあった日本蕎麦屋には、得体の知れない話を持ち込んでくる人が多数たむろしていて、よく蕎麦食う振りしてはそうした話しに聞き耳を立てていたものだ。紳士然とした詐欺師とか顔面髭だらけ輪郭すら分からぬ年齢不詳のコーチ屋とか、当時はまだ地方競馬の世界にはそうした魑魅魍魎の輩が集っていたものである。若い頃から中央競馬の清潔感よりもこういう胡散臭さに惹かれていたモノとしては余り目くじら立てて公正競馬の確保を!とかいう話には興味が湧いて来ない。ただ馬券に絡んでくれば話は別ですが。

しかし何をどうあがいても、どうせ人は神様ではないんだから全ての面において正直には生きていけぬものである。確かに譲れない事に際し一線を画すのは大事であるが、程々の寛容さを持ち合わせないとただギスギスした関係だけが残されていくだけである。とは言え昨年のディープインパクト騒動を見ていてもそうだが、最近の御時世はやたらと青臭いた潔癖症的正義論が世の中に幅を利かせていて私の様な自堕落な人間には少々住み辛くなっているのは間違いない。

今日の昼、近所のシネコンで「それでもボクはやってない」という周防監督の最新作を見てきたが、これが非常に良く出来た見事な映画であった。話の内容は冤罪の痴漢事件の顛末であるが、この映画の真のテーマは日本の裁判制度批判である。厳罰主義が治安の正常化には結びつかないのは社会学の上で実証済みの話であるが、感情論としてそれが受け入れられないのはある程度はやむを得まいかなとも思う。しかしだ、この映画を見るとやっぱり裁きの場に感情を持ち込む怖さを思い知るのと同時に、日本の裁判制度の異常さを感じざるを得ない。そもそも刑事事件の有罪率が99%ってどんな独裁国家だよつー話である。

日本が他の国と犯罪者の引き渡し法令が結べていない現状の理由に我が国の裁判制度や警察制度への不信があるからというのを日本国民のどれくらいの人が認識しているのか。外国人がこの映画を見たらそりゃあ「日本では裁判受けたくない」と思っても仕方ないだろう。日本人だって思うもの。当然そうなれば死刑がある上にこういう状況では何をか況やだろう。この間轢き逃げして国外に逃亡したブラジル人青年の事件の話をするのなら、我が国の司法制度の根幹の問題に触れなければ意味が無い筈なんだが、みのもんたはそんなこと構わずに朝もはよから物事の表面だけをなぞっては、カメラ目線で啖呵を切っている、それが我が国の報道機関の限界なんだろう。
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  by mf0812 | 2007-01-30 23:18 | 映画・ドラマ

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