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仮想敵と対立軸

あくまで一プロレスファンとしての見解であるが、昨今長い間迷走が続いている新日本プロレスであるが、その原因として長きに渡りオポジション団体の設定を間違えてきた事が大きいのではないかと思っている。いや、内部の人間でもその事に関しては薄々気付いてはいたはずだ。G馬場亡き後、オポジション団体を全日から総合格闘技団体にシフトしてからと言うもの、物の見事に坂道を転げ落ちるかのごとく低迷の時代へと移っていったのは火を見るより明らかである。しかしミイラ取りがミイラになるというか、ここ数年の流れを見ると、選手もフロントも実体と役割を混合してしまったゆえの悲劇が彼らを襲った感がないでもない。

私は新日にとって、ポイントオブノーリターンは2004年の大阪ドーム大会だったと思っているが、この大会のマッチメイクは当初この年の7月にあったノアドーム大会を意識した正にノアをオポジションに設定したカードになっていたのだが…。まぁ諸事情が重なりメインで組まれた棚橋vs中邑は立ち消えになり、いつの間にかハッスルのメンバーが顔を見せたりといつもの如く訳の分からないカード編成になったのを覚えている人も…もういないかもしれないなw

さてここ最近のプロレス界の流れを見ていると、新日は再びオポジション団体にノアを設定してきたキライが見受けられる。まぁ余りにも遅すぎたけども、決してこれは悪い事ではない。そもそも猪木という人は、は常に世間を相手にしていると表面上は言いながらも、その中身は、いつ何時もジャイアント馬場と言う人をオポジションにして生きていたのである。「対世間」と言うのは、あくまでも猪木や新間が掲げたスローガン、言葉を変えれば「役割」であり、その実体は「対全日本」であった、これが新日本プロレスの本質であると私は結論付けている。

さて猪木の呪縛が薄まりゆく中で、現新日がノアをオポジションにしてリング内の展開を作っていく事は本来の新日の流れに戻ると言う意味でもいい流れだと思っている。ただそうした流れの中でGPWAという組織を対立軸にして使こうという一部メディア関係者がいることは残念でならない。確かに如何なる組織も内部が瓦解を始めると外部に仮想敵を作り一致団結を図る、というお約束があるが、どうもGPWAをそうした仮想的にしたがっている輩がいるのは気になるところだ。

新日とノアが互いに緊張関係を作り、切磋琢磨していく事に何ら異論はないが、こうした気運に乗じてGPWAを仮想対立軸に設定して無意味に煽るのは頂けない。何が頂けないかって、それを煽り立てているのがメディアの中にいるライターがやっているから、いただけないのだ。何度も繰り返すがこのGPWAという組織は、設立理念から考えれば、決して団体の対立軸として存在するべきものではないのである。それを無理矢理に話を作ろうとするから、変に事が荒立ってしまうのだ。何処の誰とは言わないが、一部の偏狭な視野しか持たない記者と言う名の癒着屋がせっかくうまく行きそうなものをぶち壊してしまう事は、プロレスの世界に限った事ではないが、この間の週プロの状況認識不足の記事を見るにどうも危うい感じがしてならない。まぁ私の思い過ごしで終ってくれればいいのだが。

  by mf0812 | 2006-11-28 03:46 | プロレス格闘技

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