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STARWARS エピソード3

この夏はスターウォ-ズが大ヒットしているが、もう一個目玉がないと興行関係者はお嘆きらしい。私はあんまりスターウォーズシリーズは真剣に見ていないがこの最終章だけは見ておきたかった。と言うのもカンヌで先行上映された時から、うるさ型の欧州の映画人がこぞってこの映画を絶賛していたからである。と、いう事で過日ドライブインシアターで見てきたのだが、この作品は私が指摘するまでもなくブッシュ批判、イラク戦争批判の映画であり、もっと大袈裟に言えばスターウォーズシリーズはジョージ・ルーカス版の「地獄の黙示録」なのである。「地獄の黙示録」は名匠フランシスフォードコッポラが監督した戦争映画の決定版である。舞台は1960年代末のヴェトナム。ウィラード大尉は、ジョングルの奥地で王国を築いたとされるカーツ大佐を暗殺する命令を受け、部下4人を引き連れてナング河を溯っていく。その過程でウィラードが遭遇するさまざまな戦争、そして人生の狂気。漸く目的地に到着した彼が目にしたものは…。

コッポラが全資産を投げ打って完成させた一大映像叙事詩。この映画の撮影が凄まじかったのはメイキング映画である「ハート・オブ・ダークネス」を見てもらえば分かるが、進まぬ進行、度重なるアクシデント、撮影が進むにつれ集団ヒステリー状態と化していく現場、まぁ映画の中も外も地獄の沙汰となっている。制作途中でノイローゼ寸前になったというコッポラの執念がフィルムに刻まれている。地獄の黙示録がヴェトナム戦争映画という範疇を超えて戦争映画、いや叙事詩として成功したのは正にこのコッポラの狂気が炸裂したからに他ならない。

コッポラとルーカスは長い間にわたり友人関係を築いているが、ルーカスがスターウォーズの構想を考え始めたのが丁度この地獄の黙示録をコッポラが制作していた頃になる。確かに天下のスターウォーズだけに今回の最終章はかなりオブラートに包んでいるが、見た感じでは明らかに編集で2,3のシークエンスが削られているのが分かる。多分この部分はルーカスの「営業的バランス感覚」でけったんだろうと思われるがDVD化する際に必ず完全版としてその部分を繋いでくるんじゃないかと思っている。それこそ地獄の黙示録がそういう事になっていて、数年前に公開された完全版が出るまでの地獄の黙示録は、中途でぶつ切り感覚があったが故に難解だった点もあったが完全版を見ると結構大事なというかストーリーのカギを握る要所のシークエンス30分がマルマル抜けていたんだという事が分かる。

そもそもこのスターウォーズ最終章は、民主共和制の国家が軍事独裁の帝国主義に移行するというのがテーマである。この映画で規定される悪の帝国とはブッシュ率いるアメリカとされているのが分かるのは悪に堕ちたアナキンがオビワンに向かって言うこの言葉だ。

「私についてこないのなら、あなたは私の敵だ」

概ね為政者とは物事を単純化して2択にし同時に現実に起きている大切な出来事から目を逸らさせて事象を矮小化し民衆を欺くものであるがスターウォーズの中でも同じ事が起きてくる。そう言えばつい最近どこかの国の総理大臣が同じ主旨の事を言った気もするがそれはまぁいいとして、映画の中では他にも気になる台詞が何個も出てくる。例えば映画の中で後に独裁者となるバルデバーンが議会でこう演説を打つ。

「我々は安全で危害を受けることのない社会を作るために宇宙最初の銀河帝国となるのだ!」

この言葉を聞いた議員らは万雷の拍手で熱狂してバルデバーンを称え上げるのだがその様子を見たパドメはこう呟く。

「自由はこうして死ぬのね。万雷の拍手を浴びながら」

世間ではスピルバーグとルーカスを同じ範疇で見る人が多いと思うが、この2人は映像的探究心では同じ指向かもしれないが、こと政治的、思想的な指向は全く違う。スピルバーグがコンサバティブな思考であるのに比してルーカスはリベラリズムに軸足を置いている。それはここ数年アメリカが忘れたい戦争である「ヴェトナム戦争」を避け続けアメリカにとって栄光の戦争であった「第2次世界大戦」を舞台にした作品ばかりを出し続けるスピルバーグの厭らしさを思い出してもらえば分かるだろう。その一方でルーカスやコッポラは未だにヴェトナムに拘り、イラク戦争への疑問を提示し続ける。単純に見れば何て事無い人畜無害のSF映画であるスターウォーズだが、その背景にある監督の思考まで思いを馳せながら見ると、一味違う見方が出来ると思う。

  by mf0812 | 2005-08-12 05:06 | 映画・ドラマ

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