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10/9 新日両国大会 

新日本プロレスが迷走をし続けるのは、結局猪木にまつわる人間関係のごたごたがいつまでも続いているからである。過去の歴史を紐解けば『揉める事こそが新日だ!』とも言えるのもまた歴史が証明しているが、昨今の迷走は今までの流れからは逸脱しかかっているのもまた事実だ。

内部にたまるストレスをリング上で爆発させてそれを推進力にしてここまで綿々と時を紡いできた新日であるが、猪木がその主軸から去り、リング外からコントロール(=利用)しようと考え始めた辺りから、過去の歴史とは違う形での迷走を始める。例のUFO騒ぎから派生した1.4事変をスタートとして今日に至るまでその流れは変わらない。

10月9日に両国で行われた新日大会は今の新日の現状を指し示す好例の様な大会となった。不穏試合に、乱入、反則、ダブルクロスと試合不成立のオンパレード。そして出戻り選手の再登場まで施した。確かに一見すると過去の新日の流れに沿ったかのような『スリリング』な展開だが、ここで間違えてはいけないのが、過去の新日と今の新日とでは明らかに客層が変化していると言う点である。

台風の最中、新日の聖地となりつつある両国に来たお客さんは、そんなサプライズを求めに会場に赴いたわけではない。G1の様な熱い試合を見に行ったはずである。最近のドーム大会と違い『新日濃度』の濃い観客が多い両国や後楽園の興行は、多少の失敗を許す土壌が観客サイドにもある。しかしそこに甘えた刹那、何が待っているのかを噛み締めないと、大変な禍根を残す事になる。

今回参戦した武藤がテレビで語っていたように「新日はリバイバルが好きだな」という言葉が今回の大会のコンセプトをモノの見事に語っている。フロント陣の狙いも「緊張感あるリングの再現」を目指して、いろいろと策を講じた。しかし私には両国ならほぼ無条件で集まってくれる新日良客に頼ったアングルの甘さを見て取るのである。

高山の指摘を待つまでもなく、新日には猪木引退後、自らの施策により、軸になるべく選手が消えていった事もあり、エース格になるべき選手が喪失した。本来なら最高の番頭格である永田をチャンピオンにして乗り切りを図ったものの、やはりそれは成功とは言えない結果となっている。そして藤田の稀有な成功例を利用すべく「総格ワープ」とも呼ぶべき手法を採用し、無戦略な形で総合格闘技のリングに選手を送り、選手の格上げを狙ったがそれも中西の例を持ち出すまでもなく失敗に終る。これは当たり前な話で、この手法は明らかに自団体のリング外を上位概念に置くことを前提としなければ成立しない訳で、相当にギャンブル色彩の濃いやり方であり、そう何度も何度も利用してはいけない方法なのである。

ところが新日は若手のホープ中邑を使い、一応その手法にある程度の結果を残したが、エース格の創出は出来なかった。しかも一方で柴田は失敗に終っている点も指摘しておかなければならない。しかし新日は昨年、あるチャンスを逃している。天山エース路線がそれだ。昨年のG1は日本プロレス界において高山と双璧をなす最高のプロレス頭を持つノアの秋山参戦により、極めて意義ある大会となった。決勝戦では、総合格闘技のリングを使わずにして、自団体のリングの上で、しかもプロレスの試合で、見事選手の格上げに成功したのだ。

答えは出たはずなのに、ここで再び迷走に入る。猪木が共同企画の記念興行をドタキャンするという問題を起こし、対応に追われたフロント陣は坂口担ぎ出しを行いその場を取り繕った。名古屋大会で永田の相手に秋山が参戦したのもこれの流れの中の話だ。しかし本当の問題は、この次に起こる。この荒鷲担ぎ出しに付随して坂口の息子までもがメディアに登場した事で各種メディアに注目を集めたのが結果的に災いし、一夜限りの苦し紛れの策を10月ドーム大会のメインに取り込んだ事が、結果的に天山エース路線をなくす事になってしまった。

この話が悲惨な結末を迎えるのが、最終的に10月ドーム大会が記録的な観客動員の失敗となった事に結びつく。そして年末には再び「総格ワープ」を中邑と柴田で行う事になる。その過程において天山は、見事その駒に使われた。この路線が失敗だったのか成功だったのか。それは5月の東京ドーム大会が史上最低の実券売り上げになった事から見て、ある程度の察しはつく。

そして今年の夏。様々な出来事が起きた中で、最終的に天山が再びG1を制覇した。しかしその後の流れはご覧の通りである。「総格ワープ」路線の乱発がボブサップ-藤田というベルト移行に結びつき、それの結末が9日の両国のメインとなる。10月ドーム大会が消え団体内のストレスの放出が出来るはずだった今秋の新日は、猪木の号令で再び11月に大阪ドーム大会を実施する事が決まった段階で、昨年と全く同じベクトルの間違いを侵し始めている。

新日の興行的苦戦は、自己の細胞分裂による縮小化の結果なのであり、当然長州の復帰などの要素は瞬間的にその苦しみから抜け出せる事にはなるであろう。しかしその効果は極めて限定的だ。一度縮小方向に向かったパイは、新たな展望を提示しなければ、拡張する事はありえない。しかも昨年来続いているミスの乱発で基礎体力は落ちている。荒鷲担ぎ出しも長州復帰も結局は同じ事。

11月大阪ドーム大会への壮大な前フリ興行となった今回の両国大会。一番の問題は会場に足を運んでいたであろう熱を帯びた観客を冷めさせないか?と言う点に尽きる。ただでさえ今年に入り必要以上に乱発している後楽園ホール興行の勢いに最近明らかに翳りが見え始めている最中にこの問題興行である。首都圏で軸となるべき会場を失うとなると、一気のメルトダウンを起こしかねない。活字メディアは語れることが増えて万々歳であろうが、カナリ危機的な香りが漂う両国大会となったのは間違いない。終わりの始まりにならなければいいなと、余計な心配をする次第である。

  by mf0812 | 2004-10-11 12:55 | プロレス格闘技

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